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「本」

先月の集談会で、

   「あなたの今年の漢字一文字」を聞かれた。


私は思わず「輪」!と答えたけど、(森田のを広げてきた一年と言う気持ちで)

やっぱり「本」にします


私は普段あまり本を読まないほうだ。

活字がどうも苦手なのだ。(*´~`*)

そんな私にしては、今年はけっこう本を読んだ。

そして、今年はとても「いい本」との出逢いがたくさんあった。

集談会の中でも、お互いに貸したり、借りたりして

いろんな本がグルグル回っていた。


私はだいたいが、ノンフィクションばっかりを読む。

どうもフィクションは向いていないみたいで

読み出しても、挫折してしまうことも多い。

「フィクション」ってくしゃみみたい。)


そんな私でも積極的に読みたいフィクション作家さんが二人いる。

帚木蓬生(ははきぎほうせい)さんと、中脇初枝さんだ。

中脇初枝さんの本は、以前から扱うテーマが好きで読んでいた。

帚木さんは今年出会った作家さんだ。

二人に共通しているのは、

余計な感傷など全てそぎ落としたところで書いているような文章。

帚木さん自身の言い方だと、「コンクリート打ちっぱなしのような文章」だ。

余計な言葉がほとんどない、というか。

厳選された必要な言葉だけで書かれている、という感じだろうか。


そんな中で、

ちょっと感動した本との出逢いがあったので書いてみる。

その本を買ったのは、夏ごろ、駅構内の本屋さんだった。

電車までだいぶ時間があったので、時間潰しに立ち寄ったのだ。

見るともなしに本棚を見ていると、

五十音に並んでいる文庫コーナーで、「中脇初枝」の名前に目が止まった。

「本屋大賞 第3位!」という微妙な文句の帯がかかっている本があり、

手にとって、迷った挙句、衝動買いした。

題名は「世界の果てのこどもたち」


帯には、

「73年前、大人達は戦争をしていた。

    でも、わたしたちは、ずっと友達だった。」とある。

舞台は戦時中の満州。

生まれも境遇もバラバラの3人の少女が、満州で出逢い、短い日々だが一緒に過ごす。

終戦後3人はバラバラの人生を歩み、それぞれの運命に翻弄されて生きる。

そして、年齢を重ねまた再開を果たす。その3人の半生の物語だ。


一瞬、戦争の話か~、と本を戻し、もう一度手にとって、中をパラパラ~と読んで

電車の中で読もうと買った。

普通ならまず戦争の話は買わないが、

中脇さんの本だったから買ってみた。


そして、とてもいい本だった。

途中、残酷なシーンも多くあるが、

中脇さんの文章には余計な感情がなく、事実だけが淡々と切り取られており、

だからこそ、私は背筋が凍るような思いがした。

そして、戦争を心から憎み、「二度とこんなことしてはならない」と

こんなに強く思ったのは初めてだったかもしれない。

人間の残虐さとともに、

どんな状況でも、ギリギリの精神の中でも、

人間の尊厳を失わない、人の気高さ、尊さも感じた。

そこにどんな感情を抱くかは、すべて読者に委ねられていた。


この本は、

前回書いた「コーラス」の中で回った。

コーラスの中に、以前「満蒙開拓団」の写真展や講演会の告知を

していた男性がおり、

私は行かなかったが、聴きに行った方も多かったようだ。

世代なのだろう。みんなけっこうそういう事で活動したり、

見に行ったりしている。

それで、ちょうど満州の話だし、

その方なら興味深く読まれるのではないかと思って、お貸ししたのだ。


そして後日、

「とてもいい本だった。作家の方がまだ40代ということにとても驚いた。

史実もかなり調べ込んで書いているね。」と言ってくださった。

そして40代の私がこんな本を読んでいることにも驚いてくださった。

その方は80歳だ。


私は戦争の話はそんなに積極的に読むわけではないし、

少々誤解されてるかなとも思ったが、まあそこは黙って好感度を保っておいた。


そして次にその本を貸したのは、65~66歳の女性団員の方だった。

その人は、その男性とその本の話をしている時に入ってきて、

満州の話でね、と言うと「是非私も読んでみたい。」と言われたのだ。


その方が言うには、

ご両親が戦時中、満州にいたのだそうだ。

まだ若く見えるその方が、そういう事を言われて私は思わず計算したが、

その方は両親が満州から帰ってきた後、生まれた子どもで

上の兄姉たちの何人かは一緒に満州へ連れて行き、何人かは日本に残ったのだそうだ。

「戦争が終わって帰国し、私が生まれたの」

と言われ、私は納得した。


ちょうど本の中にも、

高知から満蒙開拓団で行った家族が出てくる。

そしてやはり、子どもを全員連れて行かず、何人かは日本の親戚のところに預けていっているのだ。

私は、是非その方にも読んでもらいたいと思い、すぐにお貸しした。


そしてつい先日、その本が返ってきた。

お礼のお菓子とともに、簡単な手紙が添えてあった。

そこには、

「自分の両親が、満州でどのような暮らしをしていたのか、

終戦後なぜすぐに帰国できなかったかなど、私なりに理解することができました。

そして、この本のおかげで、母と心のお別れをすることが出来ました。

ありがとうね。」と、あった。


その方は、この春お母様を亡くされた。

郷里は愛媛で、そのころ何度も行き来されていた。


この本が繋いだ不思議な縁だった。





コーラス ②

ミチコさんは、次の週もご主人に手を引かれてやってきた。

ニコニコで「よろしくおねがいします!」と元気いっぱいだ。


ご主人が申し訳なさそうに言うには、

「こないだ家内がとても喜んで、また行きたいと言うもんで....。

 隅っこでいいので、また皆さんと一緒に歌わせていただくことはできないだろうか。

 いろいろ分からなくなってるから、ご迷惑かけるかもしれないが...。」


先生もみんなも、「もちろんどうぞ~!!」だった。

ミチコさんは、いろんな事を忘れても、

     ここでみんなと歌った楽しさを忘れていなかった。

そして何より私達は、

     一緒に歌うことの楽しさ、素晴らしさを知っている。


私達は、向かい風の日も、追い風の日も、

歌ってる場合じゃない日も、とりあえず荷物は家に置いて、

ここでみんなと歌を歌ってきた。

先生の生き様に、先生の笑顔に、人知れず励まされた日もあっただろう。

歌の歌詞に、自分の人生が重なって涙が出る日もあっただろう。

私はまだたかだか4年だが、 

     私にもそんな思いたちがうっすら積もってきている。


20年共にここで歌ってきた人には

 たくさんの思い出があることだろう。

ミチコさんはそんな仲間の一人だ。

断る理由などなかった。


私達のほとんどは「ベテラン主婦」

みんな「なんとでもなるわよ~!!」だった。


一ヶ月は一応見学ということで様子を見て、やっていけそうだったので、

ミチコさんは正式に再入団した。

それからミチコさんは、ほぼ休まず練習に来ている。

毎回ご主人の車で乗り付け、ご主人に手を引かれて玄関まで来る。

そこから私達にバトンタッチだ。


毎週見ていると、やはりだいぶ認知が進んでいることがよくわかる。

季節に合わないものを着ていたり、下着が見えていたりする。

言われなければずっと帽子もかぶったままだし、上着もマフラーも取らない。

気付いた人が「あらあら」と言って手伝う。

ミチコさんは「ありがとう~」とニコニコと突っ立って、されるがままだ。

トイレも少し介助が必要だ。

ペットボトルのお茶も、フタがきちんと閉まっておらず

何度かズボンやカバンを濡らしてしまった。

それからは休憩時間も誰かがついて、見てあげるようにしている。


家でのご主人のご苦労を思うと頭が下がる。

でもミチコさん、コミュニケーションはとてもよくできる。

冗談だって言える。

そして、「ありがとう~」「よろしくね~」「ごめんなさいね~」

「ぜんぜんわたしわからないの~」とニコニコ言うものだから、全く憎めない。

こんなに愛らしくボケれる人もいるのかと、

私は、仕事柄興味深く見てしまう。


先日は、とうとう

「住所、電話、名前」の書かれた札を首からぶら下げていた。

迷子にでもなったのかな~?と思いながら、

「いいのぶら下げてるね~!」と私が言うと、

「いいでしょう~!私はすぐ忘れちゃうからね!!」と明るい。

なんか可笑しくて、二人でケタケタと笑った。

ミチコさんの笑顔に癒されている。


そんなミチコさんだが、歌はとってもお上手だ。

高音まできれいに声が出ているし、音程もほぼ正確だ。

声も大きい。

一応ソプラノパートに座ってはいるが、

アルトや、テナー、バスの練習の時も、関係なく全部歌っている。

(本当なら怒られるが、ミチコさんはスルーされている)

楽譜はもう読めないので、耳で聞き取って歌っているのだと思う。

本当に歌が好きなんだな~と思う。

2時間しっかり歌うコーラスの日は、きっとぐっすり眠れることだろう。


そして、ミチコさんが何より大好きなのが、「先生」なのだ。

先生がいろいろ面白いことを言えば、

大きな声で「あははは~!」と笑っている。

そのお顔が本当に嬉しそう。

さすが!!パワフル&チャーミングである。

どこまでも人を惹きつけている。


今年最後の練習日は、私が隣に座った。

締めくくりということで、差し入れがたくさんあった。

パウンドケーキを焼いてきた人もいた。

さすが!オバチャン達はなかなか女子力が高い!


ミチコさんは、「こんなにもらってい~の~?」と嬉しそうだ。

自分で個装を破る事ができないので、

破って手に持たせてあげた。

食べている途中、

「ちょっと先生に挨拶してくるわね~」とニコニコ立って行った。

そして、先生と抱き合って笑っている。


このコーラスにいると

私は時々、ささやかな奇跡を見ているような気持ちになるのである。


     きよしこの夜 御子の笑みに
        恵みの御世の あしたの光
          かがやけり  ほがらかに   

     

                メリ~クリスマス! 





コーラス

先日、今年最後のコーラスだった。


私の入っている、地域コーラスは、

65歳以上の「高齢者」が9割を占めるシニアコーラスだ。

後期高齢者もけっこういる。


先生も最近「後期高齢者になっちゃった~」が、

20年ほど前、近所のママ友たちと始めたコーラスが、

その後、PTAを巻き込み、女性会を巻き込み、

学区外の人を受け入れ、

10年ほど前からは、男性団員も受け入れ、

今や、地域の混声合唱団として成長してきた、ちょっと稀有なコーラスだ。


中には、先生と20年一緒にやってきた団員も何人かいて、

今でこそ「シニアコーラス」だが、

みんなこのコーラスで先生と一緒に年を取ってきたという感じだ。


ここまでこのコーラスがやってこれたのは、

ひとえに、先生の人間性によるところが大きいだろうと思う。

先生は、とってもチャーミングで

パワフルな人だ。


そのパワフル&チャーミングが、合唱指導では絶妙な化学反応を起こして、

面白いことがいろいろと起こる。

冗談をいったり、いろんな発声法や、テレビから仕入れた体操を取り入れたり、

みんなを褒めてみたり、落としてみたり(よく高齢者ネタで落としてます)

本当に感情がクルクル動く人で、

人間味に溢れていて、見ているだけで本当に面白い。


合唱にかける意気込みと熱意はハンパなく、松岡修三にも全然負けていない。

私達が中途半端なことをやっていれば、容赦なくゲキが飛んでくる。


例え、自分よりも年上だろうと、

男性団員だろうと、関係ない。

なかなか、あんなに高齢になってから誰かに叱られる事もないだろうに~、

と思いながら、笑えてくる。

(あ、でも名指しで怒られる事はないです。

 怒られる時はパート毎です。連帯責任が合唱のいいところですね。)

でも、チョイチョイ叱られはするが、それが先生の熱意だとよく分かるから、

「先生があんなに頑張っているのだから、私達も出来ないながらもがんばろう!」

と思わせてくれる先生だ。


パワフル&チャーミングは、面白くて厳しくて、

コーラスに行った日は、いつも心と体がホカホカに温まっている。


そんな先生の指導に魅せられて、みんな全然やめない。

みんなシニアなので、あちこち故障したり、

家族の介護、看病、出産等で、時々長期間お休みしたりもするが、

また元気になれば戻ってくる。

すごいことだな、と思う。


そんな中で、

ほぼ最初からの団員で、認知症になった方がいた。

地域活動、女性会活動などでも活躍されていたミチコさんだ。

ずっと一緒にやってきた先生も仲間も

まさかミチコさんが、あんなに早く認知症になるなんて思わなかっただろう。


ミチコさんはずっとお休みが続き、そのまま退団された。

それから1~2年たった今年の夏、

ミチコさんはご主人に手を引かれて、ひょっこり見学に見えた。


久しぶりに見るミチコさんは、とてもお元気そうだった。

先生は泣きそうになりながら、「よく来てくれたね~!」と手を取っていた。

みんなも声を掛けている中で、

ミチコさんは黙って嬉しそうにしていた。


そしてみんなの歌を聞いて、一緒に歌って、

   また迎えに来たご主人に連れられて、ご機嫌で帰って行った。


そして、次の週、

  またミチコさんは、ご主人に連れられてやって来た。



長いから、続く....。








冬うつよ、こんにちは。

あ~あ。冬うつ。

あなた、まーた うつなの~?

ブログを書いてると、私ってけっこうウツ率高くないですか?

と思う。


日が短くなるとやってくる冬うつ。

今年もちゃーんとやってきた。

そろそろ1ヶ月経つ。


もうすぐ「冬至」。

底辺はそこらへんかな?

そこまでゆっくり降りて行こう。

雪のように。

そう、「六花」「雪の結晶」


底辺ってどんな世界だと思う?

音もなく、色もない死の世界だと思う?


うつは、色んなモノを私からもいでいく。

あれもしたい、これもしたい私から、

希望も、欲望も、未来も、なくしてくれる。

だって、いろんなことを望んでも出来ないんだもの。


夢も見ない、

予定も立てない、

心を慰める歌も口ずさまなくなる。

やらなきゃいけないか、やらなくても済みそうか

そんなことばかり考えている自分になる。


そうして、

ただ「今」を生きるしかない自分だけが残される。


降りていく時はとても怖い時もある。

情緒が乱れて、

自分を見失いそうになる。

心に風が吹き荒れて、寒さに心が縮む。

人が信じられなくなったり、

ちょっとした言動に傷ついたり。

わけもなく泣きたくなったり。


それでも.....


底辺のあたりは、いつもすこしだけ薄明るい。

風もなく、とても静かな世界。

耳を澄ませば、何かが静かに息づいている気配のする世界。


そんな世界に、

ぼーっとした頭で、ぼーっと突っ立っている自分がいる。

いろんな羽根をもがれて「ただの私」で立っている。


仕事もぼーっとした中でやっている。

(でもけっこうがんばって行ってる。

 風邪引くヘルパーや、年末年始の予定で休む人の臨時まで引き受けてやっている。

 今回のうつは、体よりメンタルがきつい。

 だから家でボーっとしてるより仕事しているほうがいいみたい。)


高齢者で「うつ傾向」の方は案外多い。(女性に多い。)

でも、うつの時は、

そんなおばあちゃんたちに上手く寄り添える気がする。

おばあちゃんたちと、

言っても仕方のないことを愚痴り合い、

お互いホッとして帰るのだ。

どっちがどっちを支援しているのやら分からない。


仕事では、当たり前だが気を遣ってニコニコやっているが、

家に帰れば、ジイチャンバアチャンにはいつも以上に話す気が起きず

ちっちゃな事でムカついている。

矛盾だらけの私。


こんな自分だけど、

うつの時は心がけて自分に優しくしようと思っている。

 (だ~れも優しくしてくれないからさ~。)

外出や楽しいことして「気分転換」ができないから、

日常の中で、自分に優しくすること探している。


おいしいもの食べよう。(困った事に食欲旺盛です~。)

ふわふわしたもの触ろう。

   (猫が犠牲になっています。

   (時々抵抗されてばりかかれています。)

   (今も膝の上で丸くなって寝ています。かわいいけど重~~い!!

好きな色の、好きな肌触りの服着よう。


あ~あ、いつもこんな愚痴っぽいブログを読んでくださって

               ありがとうございます。





クラスメイト

娘の話しです。


5月の連休が明けたら、

娘の仲良しグループの中の一人が、

急に学校に来なくなってしまった。


娘はとてもショックを受けていた。

携帯もつながらず、ラインも既読にならないと心配していた。

私は、ちょうど同じ時期に息子が不登校になっていたので、

その子の事も他人事ではなく、とても気になっていた。

娘は、弟と友達の二人分しんどかったのかもしれない。


その友人が、これ以上授業を休むと「留年」が確定すると分かった日も、

本当に気持ちがしんどかったようで、

「初めて保健室でサボった。」と言っていた。

さぼって、保健室の先生とずっ~と喋っていたそうだ。


その日、同じ仲良しグループの別の一人も、朝、家は出たものの

やはりショックだったのだろう、

駅前のスタバでサボっていたらしい。

(なんかカッコイイサボり方だな~。)


その不登校の友達は、

時間がすこしづつ心を癒したのだろう。

学校は来ていないが、夏休みあたりから時々連絡が付くようになり、

最近は、また一緒に遊ぶようになった。

もう一緒に卒業はできないけど、

来年4月からは、一年下の子たちの中で頑張ろうかな、とも話しているそうだ。


娘のクラスには、やはり留年した先輩が一人混ざっており、

娘は出席番号が近かったので、後ろに先輩が座る~と最初は嫌がっていたが、

今ではすっかり仲良しだそうだ。

その子も、最初は色々辛いだろうが、きっと大丈夫だ。


友人は、最近アルバイトを始め、なんだか好きな人も出来たようで、

娘は「なんか楽しそうでイイナ~...」と、複雑だ。

娘は実習を終え、今は国家試験に追われている....。


そんな娘が、先日、

 「また一人来なくなったんだけど」と言った。

その子は先月の実習中、娘と同じ病棟を担当している時に、

急に来なくなったそうだ。


聞くと、その子はかなり複雑な家庭の事情を抱えていて、

聞いてて私はすごく心配になった。

気になってあれこれ言う私に、娘は、

「分かるんだけどさ~。でも私その子のこと嫌いなんだよね。」と言った。

性格がきついし、やさぐれていて、とっつきにくくて「嫌い」だそうだ。


私は娘の言葉に少しビックリした。


娘は、あまりそういう事を言う子じゃないからだ。

小さい頃から、大人しくて、分別のある子で

人を嫌ったり、ケンカしたりする子じゃなかった。

いつも周りを見て、気遣って、そうしているうちに言いたいことも引っ込めてしまうような子だった。


そんな娘が、誰かの事を「嫌い」とハッキリ言ったことにちょっとびっくりしたのだ。

その子だって、いろいろ複雑でやってられなくて、気持ちがやさぐれてしまうんだろう。

でも、その子の素行を見ていて、娘はとても嫌な気持ちがするんだろう。

同情の余地があることも分かっているが、

娘はそれでも「嫌い」なんだろう。


そして私は、

「あ~、娘もそういうことが言えるようになったんだ~。」と

とても嬉しかったのだ。

そんな自分の気持ちを、

素直に、

「普通の事」として言えたことが

私はとても嬉しかった。





ネガティブ ケイパビリティと森田

しつこいけれど、

ネガティブケイパビリティは、

    「答えのない事態に耐える力」だ。


「ケイパビリティ(能力)」は

通常は「何かを成し遂げる力」の事をいう。

 問題に対して答えを出す力。

 出来なかったことが出来るようになる力。

それが「能力」(ケイパビリティ)だろう。


でも、ここでは

逆に、「解決しようとしない力」が問われている。

曖昧にしておく、

対処しようとしない、

ただ持ちこたえる。

何かを「する」のではなく、何かを「しない」

それも「陰性」(ネガティブ)な「能力」(ケイパビリティ)だったのだ。


それらは、くしくも森田の先輩方が言われてきたことと合致していく。

  「宙ぶらりんにしておく」

  「キープする」

  「決めない」

どこまでも突き詰めてしまう神経質者に対して、

 「それ以上突き詰めないで」と先輩達が教えてくれた言葉たちだ。


恐怖や不安のからくりを頭で理解し、納得してから進みたい神経症者に

「どうしたらいいか」ではなく、「どうもしない」ことを教えてくれている

 「ネガティブ ケイパビリティ」な言葉だ。


そういわれても、神経質は曖昧にしておくことが本当に苦手だ。

「え~、どうしても宙ぶらりんにしておけないんですけど~。」となる。

大丈夫。それも能力だがら。

今は出来なくても、少しづつ練習してその力を育んでいけばいいんだ。


そして、いくら考えてもほかに道がなく、

その時初めて、もう考えてばかりいるのを止めて、

言われたように、泣く泣く破れかぶれで日常に手を出していく。

そこから何かが動いていくのだ。


日本の学校教育は、

 「ポジティブ ケイパビリティ」だ、とも書いてあった。

「答えを出す能力」「解決する能力」ばかりが重視されている、と。

学校の宿題やテストには必ず正解があり、

子ども達はいかに速く、正しくそこに辿り着けるか

その能力ばかりが養成されている。


でも、

人生上の問題は、答えのある問題ばかりじゃない。

答えがない。

正解がない。

今すぐ解決はできない。

もしかして何十年先にしか答えは分からないかも知れない。

そんな事の方が、ずっとずっと多い。

もっともっとそういった、不可解な問題の曖昧さに耐え、

受け入れる力を付けて行くべきだ、と。


子どもの世界だって、大人の世界となんら変わらない。

いじめ、学級崩壊、不登校、意見の違い、個性の違い、

最近では人種の違い、言葉の違い、文化の違い

私が子どもだった頃より、ずっといろんな事を複雑に内包しているだろう。


そんな答えのない問題に対して

みんなで話し合ってみたり、お互いの意見や文化の違いを

ただ味わってみたり、

先生も分からないから一緒に考えるね、など。

大人がいつも正解を知っているわけじゃないし、

先生がいつも正しいわけじゃないってことも、すごく大事だと思う。


一生懸命学級会で話し合ったって、

何か合意に至れるわけじゃないだろう。

そんな時、無理やりどこかに着地しようとすれば、

その合意の陰に、必ず踏みにじられ、がまんして引っ込めた誰かの主張があるはずだからだ。

そして大抵それは、引っ込み思案だったり、弱い立場の子だったりだ。


そんな風に簡単に答えなんか手にせず、

それを本当にわかるまで考える事を止めないことが

大事なのかもしれないし、

時には考えるんじゃなくて、

時間や、自然の流れに任せる事で、問題が動いていくということを学んだり、

みんなでその成り行きを見つめてみたり。

もっと「ワカラナ~イ!!」という事を

大事にしていっていいんだと思う。


複雑に様々な要素、意見、違いを内包していればいるほど、

問題も多いが、きっと面白い。

問題を平面化せず、

どこまでも混沌とさせておいたほうが

表面的な問題事項は深いところで熟成し、

いろいろ大事な事を私達に気付かせてくれるんじゃないだろうか。


そういうところから、

人の心も深く豊かになっていくんじゃないだろうか。

そんな事をとっても考えさせられた本でした。


ありがとう~!帚木先生~!!






人生の先輩たち

今日の午前中にうかがった88歳のおばあちゃんは、

上品でどちらかと言えば寡黙な方だ。

でも、今日は何のスイッチが入ったのか(多分スイッチは、今日の新聞の一面記事。)

戦争の話になって、

15才という、一番多感な時期に終戦を迎え、

一夜にして世の中がさかさまになった時のことを話してくださった。

「こんなこと息子にも喋ったことないわ。

  表立っては決していえる事じゃないけど、」

と言いながら複雑な心境を話してくれた。


私はなんて答えていいのか分からず、

本当に言葉がなかった。

生々しい実体験の前では、そしてそれを戦後70有余年その胸の中に

刻み付けてきた人生の前では、

平和な時代に生まれ育ってきた私は、

何も言えず、ただ聞いていることしかできない。


「私はね、戦争も経験したけど、平和な中で生きる良さも分かって死んでいくからいいんだけど、

そうじゃなかった人達はね....」

そういって涙ぐまれた。



午後うかがった90歳のおじいちゃんは、

亡くなった奥さんのことを話してくれた。

私は仏間の掃除機をかけるときに遺影を見ていたので、

若くして奥さんを亡くしている事は知っていたが、

話題になったのは初めてだった。


奥さんは、乳がんで55歳で亡くなっていた。

発見が遅れたのが一番いけなかったが、

最後は骨にまで転移してしまったそうだ。

でも、最期まで頭はしっかりしており、

奥さんは痛み止めのモルヒネをとても嫌がったが、

おじいさんは、医者に頼んで内緒で入れてもらっていたそうだ。

そしたら、やはり気付かれてひどく奥さんに怒られたのだとか。

最期の瞬間まで「お父さん...」と話していたそうだ。


「もう27年も前のことだ。」と笑って話された。

あまりにニコニコと話されるので、私が泣きそうだった。


この人には身寄りがない。

奥さんの遺影の横には、息子さんの遺影がある。

写真から見て、10~20代ではないかと思う。


そして更にその隣には、

軍服を着たお兄さんの遺影がある。

遺影は、叙勲か何かの賞状とともに飾ってあり、

以前、掃除機をかけながら一通り読んだことがあったが、

終戦の前年に中国で亡くなっていた。

死んでから勲章や位なんかもらったって、それが一体何になるのだろう。


この方は、この十数年の間に何度も手術や入退院を繰り返されているが、

いつも独りで入院の準備をし、

誰の付き添いもなく、独りで治療を受け、

独りで退院してくる。

「寂しくないですか?」など、言っても仕方のない事を言う私に、

「いつものことだ。」とおじいちゃんは笑っている。


いつも穏やかなこのおじいちゃんの、

その背中の貝殻の中には、一体どれほどの悲しみが詰まっているのだろうと思うと、

やっぱり私は、

ただ「うんうん」とうなづいて話を聞くしか術がない。


今の自分では、

到底分かりえない先輩達の心情を、

分からないまま、私は胸にそっとしまった。


今日はなんだか不思議な日だった。






混沌の神様

「あるとき、

 混沌(こんとん)という神様が、

 南海の神様と北海の神様を呼んで、ご馳走を振る舞いました。

 南北の神様は大変に満足され、宴が終わると相談して、

 お礼として、混沌の神様に目鼻を贈ることにしました。

 というのも、

 混沌の神様には、目も鼻も口も耳も何もなかったからです。

 混沌の神様が寝ている間に、二人の神様は

 鼻の穴を二つ、口を一つ、目を二つ、耳の穴を二つ開けました。

 これでよいと、二人の神様は大喜びしたのですが、

 その時、もう混沌の神様は死んでいました。」

           (『荘子』より)


今『ネガティブ ケイパビリティ』という本を読んでいる。

その中に出てきた「荘子」からの引用です。

ネガティブ ケイパビリティの意味は、

その副題にあるように、

「答えのない事態に耐える力」だ。

ネガティブは、普通は悲観的なという意味で使われるが、

ここでは、答えの出ない、曖昧な、不可思議な、という意味合いで使われている。

ケイパビリティは、「能力」。


この本の著者、帚木蓬生(ははきぎほうせい)さんは、

小説家であり、精神科医でもある。

『生きる力 ~森田正馬の15の提言~』を書かれた

森田療法にも精通しておられる精神科医だ。


この「ネガティブ ケイパビリティ」は

なんて大切な心なんだろうと思って、読みながら衝撃を受けている。


帚木先生は、この態度は精神科医として

患者と対面するとき必須の態度だという。


答えを出さない。

分からない事は分からないままにしておく。

不可思議さ、神秘、疑念をそのまま持ち続け、

性急な事実や理由、回答、結論を求めない。


私なんかすぐに答えを求める。

不可解な事態、曖昧な状況の気持ち悪さに耐えられないからだ。

分からないことが不安につながるからだ。

早く解決してスッキリしたい、のだ。

ただ、「分かりたがる脳」は人間の自然だとも箒木さんは言う。

人は分からないことを次々と解明し、

出来ないことを一つづつできるようにして進化、発展してきた。


どちらかといえば

そっちの方が現代人の脳には簡単なのかもしれない。

だけど、

生きていく中では、答えの出ることばかりじゃない。

答えの出ない、

すぐに解決できないことのほうが断然に多い。

1+1=2には、ほぼならない。

人生は公式じゃない。

答えを出す能力よりも、答えの出ない事態に耐え続ける力のほうが

生きていく上でよっぽど大事な力なのかもしれない。


だのに私は、人生にも公式を求め、答えを求め、

正解を求め続けていた。


混沌に耐える。

混沌は、安易に解決しようと無理やり目鼻をつければ

死んでしまう。


混沌を保ち続けることは、

人の心に幅を持たせてくれると思う。

きっとガンジス川のような。


ネガティブ ケイパビリティは、

人生の奥深さ、寛容さ、滑稽さ、自分の無力さを教えてくれるのだと思った。






「対人恐怖」と「人見知り」...②

その、TV番組は、

自称「人見知り」の芸人やタレントが集合し、

自分は「どんな風に人見知りか」

「人見知りでどんなことが辛いか」

「どんな工夫をして生活しているか」という事を

面白おかしく言い合う、という番組だった。


娘と一緒に興味深く見ていたのだが、

話しを聞いているうちに、

私には当てはまらないことが多く出てきた。

「あれ?おかしいな?私人見知りなはずなのに...」


例えば、

飲み会で一人でも知らない人が混じっていると

それだけで警戒心が出て、楽しさが半減する、とか、

初対面の人には全く喋る気が起きない、とか


旦那が言うように「人見知り」は、

人との関係を広げる事にあまり関心がない。

慣れ親しんだ、安心できる関係の中で過ごすことを強く望んでいる人たち

を指しているようだ。

あ~、「人見知り」ってそういう人の事だったのか。

私は衝撃を受けた。

だとしたら、私は人見知りじゃないわ。と思った。


確かに対人恐怖を起こしている時は、

相手が誰彼、恐怖を起こし、だから「人見知り」だと思ってきたが、

それは私の場合、どちらかと言えば神経症症状だったのだ。


人見知りの人達は、

どちらかと言えば、対人欲求が低いのだとも言えると思う。

あえて苦労してまで、人間関係を広げたくない。

でも、仕事上必要な人間関係は仕方なく割り切ってやっている。

そこの割り切りができている人は、

別に人見知りでも普通に社会生活を送っていける。


これは旦那の場合だが、

人にあまり興味を持たないので、

例え人にどう思われようとも、「全く気にならない」そうだ。

周りに迷惑な言動の人がいても、

自分に関わってこなければ、「全くどうでもいい」そうだ。

その辺を歩いている人など、ますますどうでもいい。

そして、「俺には関わってこないで」とまで思っている。


私はどちらかと言えば「逆」である。

どんな人とも一通り喋ってみたいと思うし、

初対面や、ちょっと変わった人であればあるほど

変に好奇心が出てくる。


お節介だし、人の問題にまで首を突っ込んで考えてみたりする。

道行く人や、いつも行くスーパーの店員の動向も気になったりして、

しばらく見かけないと、

「辞めちゃったのかな?」「病気なのかしら?」とか思い

何気に旦那に喋ったりすると、

「心底どうでもいいわ!」と一蹴されたりする。


道を聞かれたりすると、

「よくぞ私に聞いてくれた!!」と思い

絶対ちゃんと分かるように、懇切丁寧に教えたりするし、

何気ない天気の会話でも、その辺の人とコミュニケーションできたりすると

何だか豊かな気持ちになって、嬉しくなる。


元々の性格は、人見知りでもなんでもなかった。


私は決して自分の性格がいいとアピールしている訳ではない。

性格には「いい」も「悪い」もない。

ただそういう「性分」だというだけだ。

それこそ生まれ持ったもので、自分ではどうすることも出来ない部分だろう。







「対人恐怖」と「人見知り」

私は対人恐怖症だった。

だから私は自分が「人見知り」だとずっと思ってきた。


でも、最近あるテレビ番組を見ていて、

「私は人見知りじゃなかったんだ!!」と思った。

これは、結構衝撃的な発見だった。


高校生の時、

生物の実験で血液型を調べたことがあり、

自分がその年まで信じてきた血液型じゃなかった、

という事が判明した時くらい衝撃的だった。

(ただ両親が同じ血液型だったので、子どもも同じだろう

くらいの話しだった。)


誤解を恐れず言ってみれば、

  「対人恐怖」は直るが、

  「人見知り」は直らない。

「人見知り」は、ただの性格傾向だからだ。


うちの旦那は、

昔からずっと「俺は人見知りだ!」と言っていた。

でも、私から見れば、

普通に会社に行けて、友達もそこそこいて、

人間関係で深く悩んだこともない人のどこが

「人見知り」なのだろう、と思っていた。


そして、旦那には昔から

「あんたは人見知りじゃないよ。」とも言われていた。


その理由は、

「いろんな人と付き合おうとするから。」

「あんた辛くてもがんばってやろうとするじゃん。」

「新しい環境にも自ら出ていくじゃん。」と。


旦那曰く、

「俺は新しい人間関係とか、面倒臭すぎて全く求めてない。」

「やらずに済むなら、一切やりたくない。」

「だから進んでやろうとする人をすごいと思ってしまう。」

と言われていた。


でも、私は

ずっと旦那のほうが社会的にいろんな事ができており、

私は全然出来ている気がせず、

全く納得できていなかった。


でも、旦那のいう事は当たっていたんだと、

今になって知る事になる。


続く...





プロフィール

六花

Author:六花
ブログへようこそ。
六花と申します。
10代の頃から神経質症に陥り
30代でうつになりました。
今は森田療法のおかげで、元気に暮らしております。
そんな体験からこのブログを始めました。
日本由来の森田療法を多くの方に知ってもらいたいと願っています。

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