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見つめる

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物事を、見つめる。

自然を、見つめる。

心を、見つめる。


ただ、見つめる。

逃げないで、見つめる。

本当にただ見つめればいいのに、

ただ、見つめる事は案外難しい。


事実をそのままに見つめる事はとても大事だ。

それは、自分自身を等身大に見つめる「目」にもなってくれるからだ。


それまで私は、

自分ばかりが不幸のような、

自分ばかりがこの世の苦労を背負い込んでいるような、

皆そこそこ幸せに楽しげに暮らしているのに。

自分ばかりが我慢して、

自分ばかりが辛くて、

自分ばかりが....

そんな風に思えてならなかった。


でも、

事実を見つめようと、意識的に訓練をしていくうち、

だんだん自分の足元が見えてくるようになった。

自分が思っているほど、崖っぷちに立ってる訳でもないこと。

小さくても自分が出来ていることも、一つ一つ見つめた。

どうしても出来なくて、

どうしても怖くて逃げてしまう自分を

歯を食いしばってでも、見つめるようにした。

本当は全然認めたくないのだけど、

認められなくてもいいから、そのまま見つめた。

自分の事を認められない自分も、やっぱり見つめた。


そうしているうちに、

ある日、はっきり自分の立っている位置が見えたんだ。

「あ~、私こんなところに立っていたんだ」って。


私の行きたい場所は、そこから遥か遥か上の方にあり、

今自分の立っている場所からは、到底辿り着けないような気さえした。

あんなところまで一足飛びに行こう、

行けるかもしれないって思っていたなんて、

本当に自分が分かっておらず、

現実が見えていなかったんだ、と思った。


足が地に着いた事で、腹が据わった。

ここから一段一段上るしかない。

それしか方法がないんだと、本当に思えた。

もう「一足飛び」も「一段抜かし」も、ない。

とにかく一日一日、一歩づつでも前に進む。


神経症の中にいる時は、

自分がどこに立っているのかさえ分からなかった。

進んでいるのか、退がっているのかも分からなかった。

がむしゃらに行動した日も、これで良いのか分からなかった。

一足飛びに理想を求めて、

一瞬つかんだように思えても、

また一瞬のウチに泡と消えた。

どこに向かえばいいのか、

何を目指せばいいのか、

やってもやっても虚しかった。


やり直すべき課題は、山積みだった。

それでも足が地に着いたから、

あとは手と足をとにかく動かして、前に進むことだった。


どんなに道が遠くても、

どんなに道が険しくても、

もう私は嘆かなかった。

歩いた分だけ進んでいるいう実感が、とにかく嬉しかった。

それは感謝の道だった。


それは、言ってみれば

   「天動説」      →    「地動説」

(太陽が地球の周りを回る)   (地球が太陽の周りを回る)

                  くらいの視界の反転だったと思う。

それまで「自分中心」で回っていた世界が、自分は「世界のちっぽけな一部」だったと

分かったのだから。


そんな自分の姿がはっきり見えるようになってからだ。

ある日、道端の花を見て「あらま、かわいい!」と思えた。


それまでだって、いつもそこに花は咲いていた。

花の名前だって知っていた。

でも、その時はその花の名前とかじゃなくて、

その花の「存在」が、見えた。


一生懸命道端で咲いている花の「命」が見えたのだ。

そして、じーっと花を見つめた。

花が小さく風に揺れていた。

誰も立ち止まって見てくれなくても、

花は一生懸命そこで咲いているのだった。

一生懸命に生きる小さな命が、本当に健気で可愛く思えた。


今まで見ていた世界と、同じ世界のはずなのに、

今まで私は何を見ていたんだろう、と思うほど

世界は命で溢れ、

愛に溢れていた。


私は、ずっ~と「観念」の世界に生きてきたのだろう。

思考ばかりで見ていて、現実をぼんやりとしかとらえていなかったのだろう。


それからは、

 「事実唯真」が私の大切な言葉となった。


ただそこに存在する「事実」。

不安になった時、

分からなくなった時、

「事実」を見つめる。

そして、

「そうだよね、心配しすぎちゃいけないよね。」

「本当のところは、聞いてみなくちゃ分からないよね。」

と妄想の世界から引き返してくる私がいるのです。








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Re: 初めまして

初めまして。
コメントをどうもありがとうございます。

「今居る場所」と「行きたい場所」があまりに違うと悲しくなってしまいますよね。
私も本当にそうでした。
行きたい場所ばかりを見て、「今ここにいる自分」を軽視していたり、見ていなかった。
自分の現実が受け入れらなくて、現実をそのまま見ることが辛すぎて、目をそむけていたのかも知れません。

私は自分自身に目をそむけられていて、ずっと悲しかったのだと思います。
悲しんでいる自分に気付けてよかったですね。

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Re: No title

chakiさん
いつもありがとう~。

「自分でもうすうす気付いているけど、見ないようにしていることがある」ってすごく分かる気がします。

「今立っている場所からまた行きたい場所に踏み出すことがかくあるべしだろうか」というのは、どうなんでしょう?
「行きたい場所に踏み出す事」のだから、欲望なんだよね?「行かねばならぬ!」でもなく。
でも、欲望でも「踏み出すタイミング」や「どのくらい踏み出すか」は、「決めない」方がいいかな、とは思う。
決めて踏み出すと、迷いがあっても「行かねば!」と無理やり踏み出すかも。
決めずに宙ぶらりんにしておいたほうが、気持ちが自由に葛藤して時期を決めてくれるような気がしますが、
どう思う?

No title

何度も読み返しました。なんだかもう一歩いや、3歩くらい上に這い上がっている六花ちゃんが見えるようでした。
私も見つめないように、本当は自分でうすうす気が付いているのに認めたくないから見つめないようにしていた事実があります。
今立っている場所から、また遠い行きたい場所に歩み出すことは、私のかくあるべしなんだろうかーなどとここ数日ずっと考えていました。
優しいのに力強い六花ちゃんの言葉。
それぞれ課題は違うけど、ここに同じようにどう生きるかを真剣に考えている仲間がいる。それだけでも充分かなー
プロフィール

六花

Author:六花
ブログへようこそ。
六花と申します。
10代の頃から神経質症に陥り
30代でうつになりました。
今は森田療法のおかげで、元気に暮らしております。
そんな体験からこのブログを始めました。
日本由来の森田療法を多くの方に知ってもらいたいと願っています。

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