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集談会の仲間達(遠足編 ②)

カフェ千里香は、

おしゃれでモダンで美味しいお店だった。

使っている器も、おそらく全部常滑焼だったと思う。

私はパスタランチ「トマトとアンチョビのモチモチフェットチーネ」を食べた。

とっても美味しかった。

よっちゃんの食べていた「和風オムライス」や、

笑ちゃんの「銀杏ご飯」も美味しそうだった!



その後、移動して

絵付け体験をやった。初、絵付け体験。

素焼きのお皿や茶碗に絵を描くと、

  釉薬をかけて焼いておいてくれるのだ。

皿や茶碗は、画力が問われそうだったので、

字を書くという手もあるのだが、

私は、ネコの置物に色をつける事にした。

ネコ好きのなっちゃんも同じのを選んだ。


「絵心がないからパス!」と、笑ちゃんとQちゃんとOちゃんは喋って待っていた。

絵手紙が趣味のよっちゃんは、

慣れた手つきであっという間にお皿に「コスモス」を描いた。さ~すが!!

このちゃんも、お皿に取り組んでいた。

このちゃんらしい、優しいファンタジーな絵を描いていた。


さて、問題はネコである。

なぜなら、用意された顔色は、ピンク、黄、緑、青、薄青、黒...と

ネコの色には程遠い色ばかりである。

色を混ぜたりしてもいけない。(乾いた上に色を重ねていくのはOK)

黒に塗って、「黒猫」でもいいけど、

せっかくの絵付けなのに、真っ黒に塗るだけじゃあねぇ~。


果たして、私となっちゃんのネコは、

なんとも幻想的なメルヘンネコになった。

おとぎの国からやって来たネコたちだ。

一ヵ月後、みんなの作品がどんな風に焼きあがってくるのか、とっても楽しみ~!


それから常滑駅へ向かってまた散歩道を戻ったのだが、

これがまた時間がかかった。

(そしてまたもやQちゃんをやきもきさせた。)


なんせ楽しそうなお店が点在しているのだ。

店先の風鈴の音色や、手書きの看板に引き寄せられて、吸い込まれていく。

さらに帰り道は、土産を買うモードがオン!!になる。


そして、ある店で完全につかまってしまった。

そこの店主は、陶芸家のくせにとてもよく喋った。

自分の作品への熱い思いを滔々と語ってくる。

そして、その陶芸家の作品がこれまたすごくイイ!のだ。

私と笑ちゃんは、それぞれにすごく魅かれる作品があって、

真剣に買おうかどうしようか迷っていた。

陶芸家が喋れば喋るほど、作品の裏側が見えてきて

余計に欲しくなる。


う~~~~~ん。

二人で悩みに悩んで(みんなを待たせてしまってごめんね~~。)

結局買うのはやめた。

今出会って、今すぐ買うというのもあまりに衝動的かなと思ったのだ。

(さすが神経質、慎重~!)

そして、来年また来よう!となった。

その時まだ欲しかったら、その時は買おう!と。

そして名刺をもらって帰った。


Qちゃんは、やっと帰れる!!とほっとしたようだった。

その後は、「大通りで帰ります!」と言って

散歩道を外れた。

このままでは、またどこかに入りかねないと思ったのだろう。(ほんとすいません...)


表通りの「とこにゃん」の下を歩いて帰った。

とこにゃんの下の道は「招き猫通り」と言って、

様々な作家さんが作った招き猫が壁にたくさん埋め込まれている。

ちょっとした「招き猫美術館」だ。


常滑はやきものの町であり、

        ネコの町でもあった。


今年の遠足もとても楽しく、面白かった~!

よくしゃべり、よく笑い、よく食べ、よく歩きました。

ご一緒した皆さん、どうもありがとうございました~。(*^-^*)


集談会の仲間達と、こうした思い出が一個一個増えていくのはとても嬉しくて、

     私にとって、遠足はとても大切な行事の一つなのです。






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集談会の仲間達(遠足編)

今年も、集談会の遠足の季節がやってきた!

今年の目的地は「常滑やきものの道 散策&ランチ&絵付け体験!」だ。


今回は、心強いガイド付き。

この町で生まれ育った、地元民のQちゃんだ。

集合場所の常滑駅で待っていてくれた。

天気も上々! いざしゅっぱーっつ!!

今回のメンバーは7人。


まず、でっかい招き猫、町のシンボル「とこにゃん」に迎えられる。

とこにゃんは歩道橋の脇の高台にでーん!とあり、

大きなお目目で常滑の町をしっかりと見守っている。

そして「おいでおいで」と左手を挙げている。


こんな愛嬌ある巨大ネコにいつも見守られている町っていいな~!!(* ´ ▽ ` *)

と猫好きの私は思う。

(猫嫌いにはたまらないかな...笑)


歩きながら、Qちゃんがいろいろ説明してくれるが、

みんなそれぞれおしゃべりに夢中で聞いちゃいない。

(いつものことだけど。)

六花ちゃんだけは、しっかり聞いていました~!


私達は、「やきもの散歩道 Aコース」を行く。

散歩道は、古い道。

   昔のままの細い道。

上がったり下がったり、右へ左へと

   坂道、階段、石畳。

石畳には焼き物のカケラがたくさん埋め込まれている。

家の基礎や、石垣、土留めの一部が、焼酎壺だったり、土管だったり...。

やきもので出来た町だ。


両脇には、古い家を改造したギャラリーや、お店が点在している。

もちろん普通に住んでいる家もある。空き家も多いらしい。

平日とあって、閉まっている店も多いが、

昭和の匂い漂う懐かしい町。


最初に立ち寄ったのは、土管坂無料休憩所。

11時をだいぶ回っており、小腹のすいた私達は

お抹茶がいただけるとの情報に、勇んで向かった。


この休憩所はとってもよかった!

古い民家を生かして、休憩所としてリフォームしたものだが、

気持ちのよい高台に建っており、遠くに常滑の町や伊勢湾を眺められた。

穏やかな小春日和。

私達は光がサンサンと降り込む座敷に上がりこみ、

時間が許すなら、何時間でも過ごせそうだった。


みんなでお抹茶(お菓子つき!)を注文した。

(約一名、「土管ビール」を真昼間から飲んでいた!)

「お好きな抹茶茶碗を選んでください!」と言われ、

「さ~すが!!やきものの町!」と一同感嘆する。

めいめい好きな茶碗を選ぶ。

そんな小さなことでも、いちいちテンションが上がり、

すごく豊かな気持ちになるから不思議だ。


そして、20近くある茶碗のどれで飲んでも一緒なのに、

もう真剣に、どれで飲んだらいいかと物色して迷っている自分に苦笑する。


休憩所を出て、また歩く。

もうどの店も、いちいち手にとってひねくり回したくなる。

作家さんによって全部デザインも味わいも違うのだ。

食器や花瓶はもちろんだが、「招き猫」「お地蔵さん」「タヌキ」「シーサー」なども売られている。

手でこねて焼いたものって、二つと同じものがない。

どれも表情が少しづつ違っていて、一体一体全部違う。

それで、つい一個一個見てしまう。


デカイものは看板として店先に立っていたりして、

それらにも、やっぱりいちいち、カワイ~だの、好きだの、嫌いだの、怖いだのといい合い、

時には店の飼い猫をなでさすり、水琴窟の音を聞き、

水を張った大きな甕の中にメダカがたくさん泳いで、

きれいな水連が咲いていれば、

みんなしていつまでも水の中を覗き込み....。


という具合に、

ちっとも進まない私達に、案内役のQちゃんはやきもきする。

(まあ、これもいつものことだけど....)


私達が昼食を取ったのは、

「ギャラリーカフェ千里香」なる、おっしゃれ~な店。

それは、Qちゃんの奥さんが、みんなを連れて行くならと

勧めてくれたお店だった。



続く....。




空の色

日が短くなっていく。

そう一番感じるのは、

毎週、同じ時間にお客さんちに行く時だ。

夏の間は、その活動を終えて外に出ると、まだ全然明るかった。


秋分を過ぎ、週を追う毎に、帰り道が薄暗くなっていく。

ある時は、西の空が赤く焼けていてハッとした日もあった。

毎週毎週、同じ時間にそこに立つ。


そして先日は、

活動中すでに窓の外が暗くなっていた。

ベッドから一日中離れられないお客さんに、「日が短くなったね~」と言った。

あ~、この方は久しく空も見てないんだな~と思った。


来る日も来る日も

  一日中、同じ景色を見ているのってどんな気持ちだろう?

そのお客さんは、わりと大らかな方なので、

「毎日ヒマ。時間がたつのが遅い。」とは言うが、

そんな事を気に病んでいる様子もない。


でも、私は「自分だったら....」と想像すると、

とても耐えられそうにない、と思ってしまう。

そして、這ってでも動き回るような気がする。

それは今、自分に気力があるからなのかもしれない。

本当はそんな気力もなくなるものなのかもしれない。

そういう目に合った事が無いから、よく分からない。


秋の空はきれいで、

高く澄んだ空も、

夕暮れ時も、

月が煌々と照る夜も。


今夜の月もとてもきれいで、

銀色の光が、胸の奥のほうまで突き刺さってくるような感じがする。


だから私はどんな境遇になっても、

「空を見たい!!」と思うだろう。

這ってでも、

誰かの手を煩わせてでも

執念で空を見ようとするだろう。


森田先生が、梅の花を見たくて、

乳母車に乗って、弟子達に引かせて見に行ったように。


月を見ていて、なぜかそんなことを思った。


今日、会った陶芸家の方が、

「僕の作る青は、全て空の青なんです。」

と言ったからだろうか....。 

きれいな青色を出す陶芸家だった。







秋うつ~~~。

ハッ、気付いたらこんなにブログを更新していなかった!!

また休んでると思われちゃう!



なんだかね~、

暑さが緩んで、過ごしやすくなってくると、

気が抜けて、毎年の事ながら

この時期は、プチうつに襲われます。


体がホッとして、心も緩むのですね~。

あ~あ、プチうつ。


うつが来ると、

そんなに忙しくないのに、

ちょっと忙しいだけでも

すごく忙しいような気がして

しんどいです。


こないだ、うつを経験された方とお話していて、

今は治られたのですが、

「私は、季節的に今でもウツっぽくなります。

          そういうことありますか?」

とお聞きしてみました。

その方は「そういうことはありません。」と言われました。

その方は、うつになる時は、ちゃんと理由があるのだそうです。


私は、本当のうつだった時もそうでしたが、

いつも特に理由がないのに、上がったり下がったりでした。

それは天候だったり、

気温だったり、

日照時間だったりに

一番左右されているような気がしていました。


きっとうつにもいろんなパターンがあるんでしょうね。


うつが来て一番しんどいのは、

まだうつの自覚がない時です。


なんでこんなにしんどいんだろう?

疲れてんのかな?

風邪でも引いたかな?

と思いながら、いつも通りやろうとしている時です。


数日経ってやっと、

「あ、ウツが来てるんだ!」と気付きます。


そう気付けば、いつも通り動く事は無理だとあきらめられるし、

だったらいろいろ仕方がない、と変に開き直るので

気持ち的に、ずいぶん楽になります。


やっぱり「自覚する」って大事ですね~~。


自覚が出来ると、現実的に対策を練っていくことができます。

私の場合、

「いかに楽して!」

「いかに手を抜いて!」

でもみんなになるべく迷惑掛けないようグータラ過ごすには...

と一生懸命頭をひねっています。


これは「かくあるべし」が邪魔するとなかなか出来ません。

思い切って「かくあるべし」をそぎ落としていく覚悟が必要です!


つい先日、学習会でお話を聞いた方の「かくあるべし」の捨て方はすごかった。

「僕んちの元旦はいつもマクドナルドドライブスルーです!」とか、

「一家に一台炊飯器でご飯を毎回炊くのは、無駄が多いから

              みんなサトウのご飯にしたらいいと思う!」

「調理しなくても食べれるものはたくさんあるから、

      なるべく調理せず食べられるものを食べています。 

               下手に調理すると、不味くなる!


いや、さすがY先生!達観しててスゴイわ~!! 笑







お姉ちゃん

先日、姉が、

「仕事の研修でそっちへ行くから、ランチでもしない?」と言って来た。


私と姉はめったにランチなどしない。

人生で3度目くらいのランチだ。

姉は、車で一時間くらいのところに住んでおり、

今も現役バリバリの看護師で、とても忙しい人だ。

そして何より私とは性格がまるで違っていて、

子どもの頃から、まったく息が合ったためしがない。


何であんな気が強い人が私の姉なのか?

本当に同じ姉妹だろうか?

私は本当は、橋の下で拾われた子じゃないだろうか?と

子供心に真剣に悩んだものだ。

(その当時、母に冗談半分でよくそう言われていた。)

※神経質傾向の子どもにそういう冗談を言ってはいけません!

 マジメに悩みますから~。(o・`з・´o)ノ


普段から連絡を取る事はまずないけれど、

最近は、盆や正月など会った時に、お互い子どもの問題などを話す事があって、

以前よりは、心の距離は縮まってきたように思う。

にしても、ランチは「珍事!」で、旦那にも「珍し~!」と言われながら

断る理由もないので、出かけて行った。


私にとって姉は、いつも怖い存在だった。

一緒にランチや買い物なんて、まず行かない。

テレビドラマや人の話しで、姉妹で仲良くキャぴキャぴやっている姿を見聞きすると、

私は羨ましいような、切ないような気持ちに駆られた。

でもそれは、求めても私には手の届かないものだった。


聞けば、きっちり一時間の昼休みしかない、という。

移動して、ご飯を食べて、ちょこっと喋ったら終わりだ。


私は研修所から近くのうどん屋さんに連れて行った。

一時間しかないので、近くて、早くて、混まない所がいい!と思ったのだ。

幸い休憩は12:30~だったので、少し店はすいてきていた。


うどんを食べながら喋り、

食べ終わってからも、時間いっぱいまで喋っていた。

主にはお互いの子どもの問題のことだった。

こんな風に二人だけで話すのは本当に久しぶりだ。

姉の顔をこんなまじまじ見たこともなかったような気もする。


うちの息子が学校をやめたことを心配してくれ、

どうしてるかと聞かれたので、

「先月からバイトに行き出したよ。」と言うと、

「良かったじゃん。」と言ってくれた。


姉は姉で、娘の事で頭を悩ませていた。

私にとっては姪っ子の話だ。

聞いてて辛くなる内容が多かった。

森田で学んだ「傾聴」を生かして、とにかく姉の話を聞いた。

あまり深刻にならないように聞いた。


そんな深刻な話をしていたら、

ランチ終わりで空いてきた店内に、大きな白いネコがゆっくり入ってきた。

長毛の尻尾がふさふさ揺れている。

こんな大きなネコは外国のネコだろう。

うちのミーちゃんの1.5倍はある。

机の脚の間を、のしのしと優雅に練り歩いている。


私たちのテーブルの下にもやってきた。

頭をなでてやると、ゴロゴロ~と気持ちよさそうに

目を閉じている。

「か~わい~ね~~。」

実家では猫を飼っていたので、姉もネコは好きなのだ。

話しは変なところで途切れ、

二人で猫を見てアハハと笑った。

そこで時間となり、姉はまた研修所に消えて行った。


その夜遅く、姉からメールが来ていた。

話しが途切れていたので、

その続きみたいなメールだった。


何回かやり取りがあり、

「なるようになる。」

「というか、なるようにしかならん。」

ということでお互い納得した。


姉にしては珍しく、

「今日は、愚痴ばっかになってゴメン。」と言ってきた。


「そんなことないよ。お姉ちゃん。

     私でよかったらいつでも愚痴ってよ。」


そう思ったが、

   恥ずかしいのでメールはサラッと返しておいた。








見つめる

見つめる

見つめる

見つめる

見つめる


物事を、見つめる。

自然を、見つめる。

心を、見つめる。


ただ、見つめる。

逃げないで、見つめる。

本当にただ見つめればいいのに、

ただ、見つめる事は案外難しい。


事実をそのままに見つめる事はとても大事だ。

それは、自分自身を等身大に見つめる「目」にもなってくれるからだ。


それまで私は、

自分ばかりが不幸のような、

自分ばかりがこの世の苦労を背負い込んでいるような、

皆そこそこ幸せに楽しげに暮らしているのに。

自分ばかりが我慢して、

自分ばかりが辛くて、

自分ばかりが....

そんな風に思えてならなかった。


でも、

事実を見つめようと、意識的に訓練をしていくうち、

だんだん自分の足元が見えてくるようになった。

自分が思っているほど、崖っぷちに立ってる訳でもないこと。

小さくても自分が出来ていることも、一つ一つ見つめた。

どうしても出来なくて、

どうしても怖くて逃げてしまう自分を

歯を食いしばってでも、見つめるようにした。

本当は全然認めたくないのだけど、

認められなくてもいいから、そのまま見つめた。

自分の事を認められない自分も、やっぱり見つめた。


そうしているうちに、

ある日、はっきり自分の立っている位置が見えたんだ。

「あ~、私こんなところに立っていたんだ」って。


私の行きたい場所は、そこから遥か遥か上の方にあり、

今自分の立っている場所からは、到底辿り着けないような気さえした。

あんなところまで一足飛びに行こう、

行けるかもしれないって思っていたなんて、

本当に自分が分かっておらず、

現実が見えていなかったんだ、と思った。


足が地に着いた事で、腹が据わった。

ここから一段一段上るしかない。

それしか方法がないんだと、本当に思えた。

もう「一足飛び」も「一段抜かし」も、ない。

とにかく一日一日、一歩づつでも前に進む。


神経症の中にいる時は、

自分がどこに立っているのかさえ分からなかった。

進んでいるのか、退がっているのかも分からなかった。

がむしゃらに行動した日も、これで良いのか分からなかった。

一足飛びに理想を求めて、

一瞬つかんだように思えても、

また一瞬のウチに泡と消えた。

どこに向かえばいいのか、

何を目指せばいいのか、

やってもやっても虚しかった。


やり直すべき課題は、山積みだった。

それでも足が地に着いたから、

あとは手と足をとにかく動かして、前に進むことだった。


どんなに道が遠くても、

どんなに道が険しくても、

もう私は嘆かなかった。

歩いた分だけ進んでいるいう実感が、とにかく嬉しかった。

それは感謝の道だった。


それは、言ってみれば

   「天動説」      →    「地動説」

(太陽が地球の周りを回る)   (地球が太陽の周りを回る)

                  くらいの視界の反転だったと思う。

それまで「自分中心」で回っていた世界が、自分は「世界のちっぽけな一部」だったと

分かったのだから。


そんな自分の姿がはっきり見えるようになってからだ。

ある日、道端の花を見て「あらま、かわいい!」と思えた。


それまでだって、いつもそこに花は咲いていた。

花の名前だって知っていた。

でも、その時はその花の名前とかじゃなくて、

その花の「存在」が、見えた。


一生懸命道端で咲いている花の「命」が見えたのだ。

そして、じーっと花を見つめた。

花が小さく風に揺れていた。

誰も立ち止まって見てくれなくても、

花は一生懸命そこで咲いているのだった。

一生懸命に生きる小さな命が、本当に健気で可愛く思えた。


今まで見ていた世界と、同じ世界のはずなのに、

今まで私は何を見ていたんだろう、と思うほど

世界は命で溢れ、

愛に溢れていた。


私は、ずっ~と「観念」の世界に生きてきたのだろう。

思考ばかりで見ていて、現実をぼんやりとしかとらえていなかったのだろう。


それからは、

 「事実唯真」が私の大切な言葉となった。


ただそこに存在する「事実」。

不安になった時、

分からなくなった時、

「事実」を見つめる。

そして、

「そうだよね、心配しすぎちゃいけないよね。」

「本当のところは、聞いてみなくちゃ分からないよね。」

と妄想の世界から引き返してくる私がいるのです。








プロフィール

六花

Author:六花
ブログへようこそ。
六花と申します。
10代の頃から神経質症に陥り
30代でうつになりました。
今は森田療法のおかげで、元気に暮らしております。
そんな体験からこのブログを始めました。
日本由来の森田療法を多くの方に知ってもらいたいと願っています。

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