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世間の目

対人がひどかった時は、

世間というものがとても怖かった。

世間の目 とか

世間一般 って一体何なんだろう。


今はこう思う。

私が恐れていた世間の目って、さもありそうだけど、

本当は実体なんかない


例えば、子どもはよく、

みんな持ってるから。」

みんながそう言ってる。」などと言う。


でも、本当に「持っていたり」「言っている」のは

その子の周囲の2~3人なんだと思う。

例えば3人で話していて、自分以外の2人は持っていて、

その2人が「皆も持ってるよ」と言えば、

さも、「自分以外の人はみんな持っているのだ!」と思うだろう。


でも、きちんと事実を見たり、もっと他の子たちにも聞いてみれば

きっと「持ってない子もいっぱいいるじゃん。」とか

「違うものを持ってる子もいるじゃん。」とかに気が付くだろう。


世間の目も、そうなんじゃないかな。


10人いたとして、

実際2~3人は変な目で見てくるかもしれない。

だけど、温かく大らかな目で見てくれる人も

例え1~2人でも、いると思う。

そして、残りの5~6人は、私の事には関心もないだろう。


自分がそこに引け目や負い目があるほど

変な目で見てくる人ばかりがクローズアップされ、

その目がまるで大多数のように感じてしまっていたのかもしれない。

そうして自分の中に、

実体の無い「冷たい世間」を作り出していたのかもしれない。


そして、ビクビクしている自分がいけないんだと思ったり、

情けなく思ってしまったりする。

でも、どんな風な態度でいても、

批判的な目で見るような人は必ずいる。


そうやって、世界をとらえる目が大きく歪んで、

私には世間と言うものが、

ものすごく厳しく冷たいように感じていた。


そして、

実際はあったのに、

温かい目や、温かい言葉に気付けなかった。


私が恐れていた世間は、

自分が閉めた扉の細い隙間から見え隠れする、小さな世界だった。


本当の世界は、....


例えば、学校へ行かないうちの息子のことも、

温かく励まし、心配し、見守ってくれる....

そんな人がたくさんいる、大きくてあたたかい世界だったのだ。


もちろん息子の事を聞けば、

批判してくる人もいるだろう。

私が甘やかしているだけだ、という人も必ずいるだろう。


でも、私は今、

それも含め世間が怖くない。


どちらの意見もある中で、

世間を無視するのでもなく、

世間に振り回されるのでもなく、

息子の事実と向き合い、

決めていけばいい、と思っているからだと思う。






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スーパーマーケット

私がお気に入りのスーパーは、細かなところに企業努力が

感じられる心憎いスーパーだ。

商品がよく、安くしてくれるのはもちろんなのだが、

言ってみれば、いろんな所で「物の性を尽くそうとしている」ことが感じられるお店なのだ。


例えば、

レジ袋は基本的にくれないが、

ほしい時は、「ください」と言えば無料でくれる。

今はどこも当たり前のように有料になった。

この店は、お弁当も店内で作って販売しており、

しかもとてもボリューミーで安価なため、

近所のサラリーマンや、現場工事の男性などもよく昼を買いに来ている。

そういう人達は大抵、袋なんか持ってこないからきっと助かると思う。

私も何かのついでに寄った時など、持ってない時もあるからとても助かる。


新聞チラシをやめた。

この店のチラシは1年ほど前から、新聞には入らなくなった。

基本的には店内に置いてあり、欲しい人はセルフで持って帰る。

レジの人も、来週のチラシ要りますか?と声を掛けてくれる。

つまり、この店の顧客だけに配ればいい、という考え方だ。

今は新聞を取らない家庭も増えた。

新聞に入れるには、たくさん印刷し、無駄打ちも多くなるだろう。

店に置くだけなら、印刷部数もだいぶ減らせるし、紙とお金の大きな節約

になることだろう。

頭がイイナ!と思うのである。


現金会計機が設置された。

このスーパーは小規模だ。

大型スーパーは広すぎて、やたら歩かされるが、

この店は小さいので、近所のオバチャン、オバアチャン、オジイチャン達に人気なのだ。

駐車場は狭いので車で来る人はあまりなく、午前中のママチャリの数はすごい!

そしてオジイチャン、オバアチャン達は現金払いを好む

「レジ打ってるうちから財布も出しとけよ~」と私は思ってしまうのだが、

オバアチャン達は、レジを打ち終わってからおもむろに財布を取り出し、

「ちょっと待ってよ、細かいの出すで!!」と言いながらジャラジャラやっている。

午前中はかなりレジが混雑するのにだ。

或いは、ウチのオバアチャンのように、後ろに並ぶ人があると、気が急いてしまって

お札でポンと払い、財布が小銭でいっぱいになってしまう人もいるだろう。


それでこの店は、現金会計機なるものを4台ほど置いた。

レジを打ち、現金の人だけ「○番の会計機でお願いします。」と言って

支払いは各自でゆっくりやれるようにした。

この店の規模で、こんなものを置くなんてスんゴイな~~と私は思う。


予想通り、オジイチャン、オバアチャン達は、最初会計機に戸惑い、

「分からん!」「やれ~せん!」と店員達の手を煩わせていたが、

だんだんに覚え、今では会計機に手こずっている人はほとんど見なくなった。


いろんなスーパーで、カードを作らせるキャンペーンはよく見るが、

カードを嫌うお年よりは多い。

あと休日など混雑日は、レジを二人体制で会計と分けている店もある。


でも無理にカードなんか作らせるのではなく、

大勢のスタッフに出勤させるのでもなく、

現金のままで、もっと便利にしていこう!という客にも、働く側にも寄り添った

いい打開策だな~、と勝手に私は関心した。


このスーパーのそんな姿勢や心意気がとても好きで、

もっと近所にスーパーがあるけど、

つい足茂く通うことになる。


店長さんを中心に、パートさん、学生アルバイト、

(最近は外国人アルバイトさんもいらっしゃいます。)まで含め

みんなで店を良くして行こう!と、アイデア、意見、不満、要求など

自由に発言できる環境があるからだろうな、と

想像させてくれるようなお店なのです。


         





心のパワー

「私はうつでも5年ほど苦しみました。」と

発見会の会で自己紹介をした時に、

ある方が教えてくれた。

「うつになる方は、心のパワーが少ないんです。」と。


何となく分かっていたが、

そう言われて、そうなんだ。と腑に落ちた。

そして、

「だから、疲れすぎないように気をつけて生活するようにしてください。」

とアドバイスしてくださった。


そういう自分の傾向に気付いてはいたが、

それが長年のうつの後遺症なのか、元々のものであるのかは

自分でもよく分からなかった。


でもそう言われて、

ちゃんと自覚することが出来た。


自分の「限界」を知ることはとても大事だ。


私は、ずっと運動部だったので、

体力には自信がある方だった。

入院するような病気もしたことがない。

唯一、胃腸系があまり強くなかったが、

それもほとんど神経性のものだったようで、今は全然普通レベルになった。

本当に頑丈に産んでくれて、

両親に感謝している。


心の面も何となくだが、

我慢や、根性みたいなことも人一倍あるほうじゃないか、と思っていた。

(ずっと体育会系だったから滲みついたのかもしれない。)

でも、メンタルの体力というのは考えたことがなかった。

そういう面は、

確かにすぐに疲れてしまう方だと思う。


うつだった時は、それがすべてのマイナス感情を引き寄せるようで

本当にしんどかったが、

今はマイナス感情よりも、ただただ疲労感を感じる。


今週はずっと忙しくて、私は疲れていたようで

今日は心の充電器がピカピカと赤く点滅していた。

そうなると早目早目に休まないと、

益々チャージの減り方が早い。


分かっていたけど、今日は午前も午後も予定があって、

ゴロゴロしているわけにいかなかった。


充電が切れかけてくると、

もう何でもどうでもよくなってきて、

集中力はなくなり、イライラし、難しい事は考えられなくなる。

さらに点滅すると、体の力が入らなくなってくる。


今日はその辺の症状まで出ていたが、一日の予定を何とかこなした。

心の電源はオフ気味にして、頑張らないようにした。

そうしてなんとかやり過ごした。


そんな私だが、その事もやっぱり

「良い」でも「悪い」でもない。

それが「私の事実」だ、というだけだ。

それが私なのだ。


あ~、明日は完全オフだ

うれし~~~い

ゴロゴロして充電しましょ~~~。∠( ^ o ^ )┐




強いか弱いか

ある時、発見会の仲間と歩きながら話していたら、


ある友人が、

「六花ちゃんは強いよね~!」と言った。


すると間髪入れずに、別の友人が、

「いや!六花ちゃんは弱いんだよ!!」

「繊細でとっても傷つきやすいんだよ、この子は!ねっ!?」

と私に同意を求めてきた。


こうもハッキリと「あんたは弱い!!」と言われたのも初めてだったが、

この友人はどうも私をかばおうとして、そう言っているのだった。


ホント~に発見会の人達は面白い。

(宇宙人だからね!)


私は、う~~~~~~ん?どっちだろ~~~~~??

と思いながら、適当なことを言って、ごまかした気がするが、

その後話題は変わって、それ以上何かいう事はなかった。


それを家に帰ってから、ふと思い出してもう一度、

自分は果たして「強いか」「弱いか」について、考えてみた。

(本当にこういうどうでもいい事を、

   ゴチャゴチャ考えちゃうんですよね~~。性分です。)

そして、自分の「事実」について丁寧に見てみた。


そしたら、答えは簡単だった。

私は、強くも弱くもなかったのだ。


誰かと比べたり、

昔の自分と比べるなら、

相対的に、あの人よりは弱い、昔の自分よりは強くなった。

という事は言えるかもしれない。


でも、「絶対的に強い」なんて事は無いし、

 逆に「絶対的に弱い」なんて事も、私に限らず無い。


弱っちいくせに、案外意固地だし、

かと思えば、理不尽な物事に出くわしたりすると、ものすごいパワーで怒ったりする。

正義感で何かわ~~っとやったりするけれど、

しばらくすると、あんなこと言っちゃって良かったのかな、

傷つけたかな。と弱い自分がピョコピョコ顔を覗かせたりする。


弱くもあり、

強くもある。


ただただ強くもないし、

ただただ弱いわけでもない。


強いと弱いの間をいつも揺れ動いている。

その動きの中に「私」というものがいる。

厳然と不動の自分がいるわけじゃない。


だから、私は強い人でもないし、弱い人でもない。

どっちでもあり、

どっちでもない。


それが「私」だった。


(この結論ってなんか、禅問答みたいですね~。

       やはり森田的考え方は、禅とつながっていますね~。)






命日(一日過ぎたけど..)

不思議だ。

私は、

自分の祖父母の命日は誰一人として知らないのに、

身内でも何でもない森田先生の命日を覚えている。


昨日4/12は、森田先生の命日。

森田先生が亡くなって、昨日で80年。


ということは、

ブログを書き出して、丸一年経ったことになる。


一年前のこの日を、私はよく覚えている。

桜が花吹雪になって、風に舞っていた。

いつもより遅い桜だった。

そんな光景を見ながら、森田先生を想っていた。

そしてこのブログを書こうと思い立ったのだ。


今まで森田で教えてもらったこと、

自分が経験したこと

そして自分の思い....。


あれから一年。

私は今でも苦しい。

それは以前のように、自分の内側のことで苦しいのじゃない。

家族や、人との関係や、仕事や、いろんな事をしていく上で感じる苦しさだ。

それは生きていく苦しさだ。


生きていく事は、誰にとっても苦しい。

だからそれでいい。

生きていくって、本当に苦しい。

苦しいけど今私は、同じくらいに生きていくことが嬉しい。



今日は....(命日から一日過ぎてしまったけど)

  桜はなかったけれど、ものすごく夕日がきれいだった。


息子の学校へ行った帰り道、

西の空に、ギンギラと夕日が輝いていたのだ。


新学年になって一週間経ったが、

息子はまだ一度も学校へ行っていない。

学校をやめたいという息子。

今日の夕方、

まだ一度も会ったことのない担任に会いに、

息子と学校へ行ったのだ。

旦那も会社から合流してくれた。


何をどう話すのか、

これからどうしたらいいのか、

何も分からないままに

とにかく行った。


行って何が変わったのか分からないし、

答えも出ない。

息子はいつか学校へ行くのか、

やっぱりもう行かないのか。

今も分からない。


でも、行ってみてよかったんじゃないか、と

   会ってお互いの顔を見て話せてよかった、と


 大きな美しい夕日を見ながら私は

           それでよかったと思った。




ミーちゃん

何だか、誕生日ネタばかりで恐縮ですが、

(しかもお釈迦様の誕生日の後になんなんですが、)


今日はうちのネコのミーちゃんの誕生日~


公園のおじさんからもらったミーちゃんは、

確かに今日が誕生日だとおじさんは言っていた。


今年で12歳!

つまり干支を一周したことになる

という事は、ミーちゃんの干支は~~~....


「犬」!!!


ネコのくせに、皮肉にもイヌ年であった。(笑)


旦那に報告したら、

「朝からど~でもいいわ~~」と言われた。

そりゃそうだ。


でも、20年以上生きれば表彰の対象になるネコは

20歳で、人間の100歳として

12歳は、人間の還暦くらいじゃないだろうか?


ちょうど干支も1周もしたわけで、

やっぱりめでたいと思う。


今までネコの誕生日など祝ったこともないけれど、

今日は、大好きなカニカマフレークでお祝いでもしようかな。



と、そんな事を言っているうちに、

明後日はあの日がやって来ます。


明後日、4/12...。

そう、あの日です!


ピーンと来た方は、森田通ですね~



お釈迦様の誕生日

今日4月8日は、お釈迦様の誕生日

「花祭り」「潅仏会(かんぶつえ)」とも呼ばれる。


あるお笑い芸人が、

「日本人は、イエスキリストの誕生日で騒ぐんじゃなくて、

     もっと釈迦の誕生日を盛大に祝えよ~!」と言っていた。

「確かに~」と思う。


私自身、4/8がお釈迦様の誕生日だなんて、わりと最近知ったことだ。

こう言ってはなんだが、お釈迦様の生まれた時期が悪いと思う。

だって、新年度が始まって間もない、社会人も学生も主婦も

一番ふわふわして気もそぞろな時期じゃないか~。

現実、お釈迦様のお誕生日を祝ってる場合じゃない。

まあでも、心の中で心静かにお祝いすることにしよう。


そして、今日にピッタリな

お釈迦様関連の情報があるのでお伝えします


友人が、

4月のNHK教育の「100分de名著」を見るといいよ、と

勧めてくれた。


テーマは「法華経」

私は「法華経」についての知識は何もない。

とにかく見ることにした。


釈迦入滅後、500年ほど後に書かれたのが「法華経」。

500年の間に、釈迦の教えは、どんどん変化していってしまう。

大乗仏教と小乗仏教。

教えは切り取られ、こねくり回され、様々な解釈で細かな部派に分かれていく。

仏の教えは、民衆の生活からかけ離れ、一部の人のものになっていた。


そこに書かれた「法華経」。

そこに書かれているのは、

「本来の、仏の教えに立ち返れ」というもの。

対立を越え、憎しみと怒りの連鎖を越えて

共存、融和していく知恵が描かれており、

それは、現代にも十分に通用する、思想書だと言うのです。


よく分からないが、何だかすごいことが語られそうな雰囲気だ。


明日、月曜日の夜、第二回が放映されます。

題名は、「真の自己に目覚めよ」

ワクワクする題じゃありませんか~~!!


興味のある方、見てくださいね~。


そして、今日は是非

心の中でお釈迦様のお誕生日をお祝いしてくださいね~。


「ハッピーバースデイ ディア シッダールタ~!



何になる?

子供の頃、節目になるとよく

「将来の夢」や

「何になりたいか?」

を言わされたり作文に書かされたりした。


そういう質問を、私は何かとても強迫的に感じていた。

大人になったら、必ず「何か」にならなきゃいけないかのように。

何も夢がないのは、いけないかのように。

そして、何かになる事が、大人になる事かのように。


目標を持ち、それに向かって勉強、努力し、

何かになっていく中で、まるで今とは違う自分になれるかのように

漠然と感じていた。

強迫的に。


自分の将来は、今の自分が歩いている道の延長線上にいるはずなのだが、

「自分」というものがよく分からず、

いくら思い描こうとしても、ぼんやりと霞がかかっていて

いくら目を凝らしてみても見えなかった。


そして現実は、ちっともやりたい事も見つからず、

いつも迷ってばかりで、進路も行き当たりばったり。

自分は何をやって生きていったらいいのか、

ちっとも分からないままだった。


今の私は、

ひたすらに「自分」になっていこうと思っている。

      どこまでも「自分」になっていこう、と。


立派な「何か」になるんじゃなく、

      「ただの自分」になろう、と。


違う自分になるんじゃなく、

       とことん「自分」になろう、と。


それは、もっともっと「良い自分」になっていく事じゃない。

ただただ自分自身になっていく事。


昔は上ばかり向いていた私のベクトルは、

今は下へ下へと向いている。

自分を深く、もっと深く知っていきたいと。


無理して「何か」になる必要なんかなかった。

ただ「自分」になればそれで良かったのだ。

今は、そう思っている。





息子

新しい年度が始まった。

平成最後の年度、かな?

(それとも平成31年度が、1ヶ月だけあるのかな?)


あ~しんど。

また4月か~。またクラス替えか~。

新しい友達。新しい先生。今年は進路指導も。

あ~~~~しんどい。

がんばれ~~~、私。

がんばれ~~~~、息子。


昨日息子と話をした。

将来への不安。何にもなりたくない。

何もしたくない。進学も就職も、進級すら嫌なのだ。

息子の正直なところだろう。

(まさかこんなところで全世界に向けて公開されているとは夢にも思わないだろ~)


他に適当な言葉が見つからないので、

「大丈夫だよ。」と言ったら、

息子は言った。

「でも、あなたは私ではない。」と。

俺の苦しさなんかあんたに分からない、と言いたいのだろう。

あ~私の子だな~。と思った。

「そうだね」と私は言った。

確かに分からない。

私もそうだった。

誰かに相談して「大丈夫」と言われても

「私の気持ちも分からないくせに、簡単に大丈夫って言わないでよ。」といつも思ったっけ。


「でも、あなたまだ17じゃん。」というと

「17にもなってこんなんじゃだめだ」みたいなことを言った。

お~、ちゃんと自分を客観的に見ている自分もいるんだ。


でも(だから、かな?)

私はきっと大丈夫だと思っている。

   (本当はそう信じたいだけなのだけど。)

決して楽観視はしていない。

まだまだまだまだまだまだまだ色々しんどいことの連続だと思ってる。

本当にしんどい事は、これからなのかも知れないとも思っている。

それでも、

10年、20年後はこの子はきっと大丈夫だと思っている。

         (やっぱり思いたいだけ、なのだけど...)


やりたい事も、目標もない。

何よりやる気が何も起きない。

極めつけに自信が何もない。

今の息子のそれは事実。

ならば、それでいい。


そこから出発する。

何もないまま歩く。

何もしたくないまま歩く。

それでいい。

その息子を全肯定してやりたい。


私の「大丈夫」は、なかなか息子には届かない。

それでも私は次も言う。「大丈夫だ」と。

半分は、自分の胸に言い聞かせるように。





プロフィール

六花

Author:六花
ブログへようこそ。
六花と申します。
10代の頃から神経質症に陥り
30代でうつになりました。
今は森田療法のおかげで、元気に暮らしております。
そんな体験からこのブログを始めました。
日本由来の森田療法を多くの方に知ってもらいたいと願っています。

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