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Iメッセージで伝える

先月の学習会で、

臨床心理士の岩田真理さんが、

I(私)メッセージで、自分の純な感情を伝えてみると、

相手を傷つけずに、気持ちが伝わりますよ。」とおっしゃった。

それは、心理学的な知識なんだと思うが、

その後、それについて考えさせられる機会が何度かあった。


先週、旦那と久しぶりに時間が空いたので、ドライブに出かけた。

ところが、その日はあまり体調が良くなかったようで、

私は車酔いしてきた。

旦那は車の運転が好きで、久しぶりの遠出で快調に飛ばしていた。

でも私には、急発進、急ブレーキがすごいように感じていた。

「なんか今日運転が荒くない?」と言ってみたが、

「全然!!」と言う。

「ちょっと酔って来たんだけど」というと

「え~、じゃあ寝たら?」と言われた。....


その後も、道を間違えても、なかなか引き返さずグルグルして迷いそうになったり、

調べておいた食べログのお店に行きたいらしいが、

ナビやスマホばかり見ていて、いつ着くのか分からない。

どんどん時間は過ぎて、お昼食べ損ねたらどうしようと気がもめるし、

気持ち悪いし、言いたい事はだんだん心に溜まっていくが、

久しぶりに二人で出かけているのだし、私は我慢していた。


道の駅などでも、旦那はスマホばっかり触っている。

なぜかその日は本当にイライラすることばかりだった。


私はそれらを全部体調のせいにしたが、

家に帰ってから、ぐったり疲れてしまった。


しばらく横になりながら、

なんで今日はこんなにすれ違ったのだろう、と思った。

多分思うこと全部言っていたら、帰りはケンカになっていた。

じゃあ、どうやって言えばよかったんだろうと考えていた。


ふと、Iメッセージで言ったら、どう言うのだろうと考えた。


私の言いたかった事は、

「私が酔ってるのに、なんでもっと丁寧に運転してくれないの?

(思いやりが足りね~んだよ!)」

「機械や情報ばっかりに頼ってないで、もっと感覚で臨機応変に動いたら?」

「なんでアンタはこんなところでもスマホばっかり触ってるんだよー!」

「ながらスマホはいけないんだよー!」


これらは全て「あなた」が主語だ。


これを、「私」を主語にして伝えるのだ。

「今日体調良くなくて酔いやすいから、もう少し丁寧に運転してほしい。」

「私は感覚で、行き当たりばったりの店を選ぶのもいいと思うよ。」

「あんたがスマホばかり見てると、なんか嫌な気持ちになる。」

「危ないから、ながらスマホはやめて欲しい。」

ということだろうか。


ムカつくと、つい感情的な言葉になる。

つい相手の非を指摘しがちになる。


気持ちがそうでも、伝え方一つで相手への伝わり方が全然違ってくるのかもしれない。

「なんであんたは....!」

「なんでもっと.....!」

「だからあんたは....!」

そう言われたら、誰でもその後に続く内容よりも、

否定された感情ばかりが残るのかもしれない。


そこを、一旦深呼吸でもして、(ス~、ハァ~)

I(私は)で話してみると、

相手に本当に伝えたかったことが、

もっとちゃんと伝わっていくのかもしれない。


次回、旦那にムカついた時に、

是非ともこのことを思い出せるといいな、と思う。

あんまり自信はないけれど.....。(*´~`*)




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オリンピック

平昌(ピョンチャン)オリンピックが終わっていく。


やっぱりスポーツはいいな。

素直に悔しくて、

素直に嬉しくて、

素直に感動して泣ける。


負けて悔しくて泣く人を見て、

私、負けて泣くほど悔しかったことって今まであったかな?

って思って、

頑張って頑張って頑張る人は、

負けることがこんなに悔しいんだなって思って、

その真剣さ、

一生懸命さに感動する。


どんな競技も、結局は自分との闘いだ。

どんな不安と、どんな恐怖と闘って、この人はこの場に立っているのかな。

国の代表。

その栄光の後ろには、必ず影が出来る。

メダルでも獲った日にゃ、

ますます光は強くなり、

陰はますます濃くなり....


それでもその陰も背負って、努力し続け、

笑ってそこに立っている君が、

とても眩しい。


そして負けて悔しいと泣く君に

素直に感動する。


努力が実って獲ったメダルに

心から嬉しくて、泣きながら

おめでとうと思う。




風光る

二十四節季の「雨水」を通り過ぎた。


日が長くなった。

鳥たちがなんだか元気だ。

はりつめた空気が緩んでいる。

ゆるんだ空気に、

大地は一気に芽吹きそうだ。


春よ、来い。


私はこんな時期が一番好きかも知れない。

こんな時期に、大事な日はやってくる。

今日2/23は、

皇太子のお誕生日でもあり、

中島みゆきさんのお誕生日でもある。

来年からは、

この日が「天皇誕生日」となり、国民の祝日になるんだ~。

なんか嬉しい。


今朝、ちっとも起きられない息子を今日も車で駅まで送っていった。

起きて3分。

頭はボサボサだ。

あの頭で地下鉄に乗るのか~。

人目が気にならないのかな~。

そんな事を先月の個人面談で担任に言うと、

先生は「男子高校生なんてそんなもんですよ~。」と言って笑ってくれた。

「そんなもんか~。」とちょっとだけ安心できた。


息子を駅で降ろして、ホッと肩の力が抜ける。

同じ道を一人で戻る。

さっきは気が付かなかった。


風が、キラキラと光っていた。

    

   (※「風光る」は春の季語なのだそうです。)



シャガール展

先日、シャガール展を見に行った。


シャガールさんは、97歳!まで生き、

絵画、彫刻、粘土といろいろやって、作品をたくさん残した。

とても見ごたえがあった。


作品には、ニワトリ(しかも雄鶏)がやたら出てくる。

人間と鶏を重ねて見ていたのかな。

人の愚かさを射抜くかのような

目の鋭さ。


あとヤギや牛もやたら出てくる。

やはり大きな目はこちらを向いており、

時々歯を見せてウシシと笑っている。

こわ~。


あとは、やたら男女がぴったりと寄り添っている。

いつでもどこでも、やたらである。

「生の欲望」多めである。


力強い線。

生命力があふれている。


赤と緑の反対色が何の違和感もなく、

一枚の絵に収まっている。


でかいキャンバスの、真っ赤な背景の中に描かれた花瓶の花。

全体真っ赤っ赤!なのに、なんでこんな穏やかな気持ちで見ていられるのだろう?


真っ青に塗ったくってあっても、

決して悲しくもなく。


とても不思議だった。


シャガールさんの命の叫びに感嘆して、

また自転車で走って帰りました。




不動明王

相変わらず肩に力の入っている、六花です。


「不動明王」って、仁王立ちして

    恐ろしい顔で周りを睨みつけています。


その背後には、煩悩を焼き尽くす

  業火が赤々と燃え盛り、

    右の手には、大きな剣を振りかざしています。


私の心って、不動明王みたい。  


いつも周囲に睨みをきかせて、アンテナ張って見張っている。


いろんな事に対して、怒りや不満がごうごうと燃え盛っている。

時に自分自身を焼き尽くすほど。


理不尽な物事に対して、ぶった切ってやる~!と、

つい物騒な刀を構えてしまう....


あ~あ....


だけど、お不動様がその左手に持っているもの。

それは「絹じゃく」という紐。

不動明王は、その紐で、

地獄の底から人々を引っ張り上げてでも救うのだそうだ。


私の心の中にもある。

みんなと仲良くやりたい。

調和を願う気持ちが....


また旦那に言われそうだ。

何、自分が不動明王と同じって~。

全然意味が分からん~、と。





葛藤

森田先生は、

  「葛藤が大きいほど立派な人だ」と言った。


他人の事を、どうでもいいと思っている人は、

相手がどんな人間だろうと、全然気にならない。

うちの旦那がそのタイプだ。

他人がどんなであろうと、全然意に介さない。

特に葛藤もないようだ。


だから私もうつの時に、「だらけでいる!」と叱られた事がない。

有難かった。

多分、色々不満には思っていたのだろうが、

「仕方がないか~。調子悪いんだから」くらいに思っていたのだろう。


「こうすべき」「こうであるべき」というのがあればあるほど、

現実との間に葛藤が生まれてくる。

「なぜできない!?」

「なぜやらない!?」と。


私は、出来れば旦那のような人になりたかった。

大らかに、人の事も自分の事も余裕を持って見れる人に。


でも私は神経質に生まれて、

そんな人には逆立ちしてもなれそうにない。

自分の厳格さがとても嫌になる。

子育てにおいては、その事で子どもも自分も本当に苦しかった。


私は全然人に寛大になれない。

その狭量な心が悲しくなる。

でも、そこに大きな葛藤がありながらも、

寛大に接していこうとする態度を

森田先生は、「立派だよ」と言ったのだと思う。


だから寛大になれなくてもいい。

心の中でたくさん葛藤していても、

柔軟に対応していけるように

ずっと努力し続けていきたい。


というような事を旦那に話したら、

「ずっと努力なんて疲れちゃうじゃん。そんな人生俺やだ。」

と言われました。

私は、肩の力がどかっと抜けて

笑ってしまいました。




2月になると

2月は、一年で一番寒い。

立春を迎えてからが、一番厳しい寒さがやってくる。

街は寒さに閉ざされ、

人々は縮こまる。


私はこの時期、いつも思う。

日の出前のようだと。

夜が明ける前は、一日のうちで一番冷え込む時間帯だ。


冬が明ける前のこの時期、

一年の内で寒さは最も厳しくなる。


降ろしても降ろしても

降ってくる雪。

どんなに寒くても、

どんなに辛くても、

降ろし続けないと、雪につぶされて死んでしまう。


道の両脇に、背よりはるか高くに

除けられた雪の壁。

(私には経験が無いけれど....)


寒さの総仕上げ。

これでもかという厳しさ。

耐えられるか、と自然に毎日試されているような。

ただ頭を抱えて、体を縮こませて耐える。(カイロを貼って)

なんだか生きる事に必死になる。

(ボ~っとしていたら死ぬ気がする)


日の出前だといつも思う。

だから寒くなればなるほど、

春はそう遠くないはずだと

最後の寒さだと

いつも思う。


この厳しい風雪に耐えるから

種は春、小さなかわいらしい花を咲かせることができる。

きっと人間もだ。


毎年毎年この時期になると、

私は大自然からそんな事を教えてもらっているような気がするのである。





先輩...②

振り返ると、

私がまだ集談会にたまにしか参加しないお客さんだった頃から、

その方は、扉を開けた私にいつも、

「いらっしゃ~~い!久しぶり~~!」ヽ(´∀`) と

笑顔で迎えてくれた。

私に限らず、どんな人でもそうやって受け入れていた。


それなのに、

私はずっとその方が苦手だった...。

いつも明るくて、元気で、何でも出来るその方が。

うつだったから、

対人だったから、

うまく話せなくて、

緊張して、関係がギクシャクするのが怖かった。

「変な子」と思われるのが怖かった。


でも、そんな私にもいつでも変わらない態度で

接してくれた。


そして、その方はその好奇心の強さから、

心について、人間について森田に限らず多方面で貪欲に学んでいる。

私は、そういう柔軟性があまり無くて、

あまり色々な考え方は、受け付けられなくて、

森田なら森田でやっていくのだろうな~と思うが、

何でも吸収して消化していくその姿勢は、本当にすごいな~、と思う。


そして、学んだことを惜しげもなく私達に教えてくれる。

私(達)はそのあまり聞いたことのない内容だったり、

新しいカタカナの心理用語だったりに

一同、ポカーン ?(・Д・)?? な時もあるが、

だんだんに言わんとすることが分かってきたりする。


腑に落ちるのに時間が掛かるが、

いつもとても大事なことを教えてくださる。


神経質は、自分も人も裁いてしまう。

でも私達は、学ぶ事で相手を裁かず

裁く自分の自我を越えて、相手に寄り添うことがきっと出来る。

それは全然たやすくはない。

自我がある限り、そこにはいつも葛藤がある。

それでもその葛藤を乗り越えることが出来る。

きっと。

私はその方から、そんな事を学んでいる気がする。


以前は、

ちょっと苦手な先輩だったけど、

今はとても大好き!!な先輩だ。




先輩

私が神経症が良くなった当初、いやその前でも、

少し自分に元気がある時は、

集談会で言える事は言おうと、

人の悩みに対して、思うことを言っていた時期があった。

(言ってあげることが、その人のためと思っていた。)


時には、全く自分の価値観や考え方と合わず、

口調がきつくなってしまったり、

諭すような事を言ってしまう時もあった。

(気付かせてあげよう。と思っていた。)


言ってしまって、

相手の反応を見て、

しまったと思うのだが、

出た言葉は引っ込められない。


そんな時、

いつもそんな私をフォローしてくれる方がいた。

「きっと六花さんはこういう事が言いたかったんじゃないかな。」

とオブラートに包み直して、

相手に伝えてくれたりした。


私はその方から、

「あなたの言い方は間違っているよ。」

「そんな言い方では相手に伝わらないよ。」

などと一度も叱られたことがない。


いつも、

「そうだね。そういう考え方もあるね。」

「そうそうよく分かるよ。」と受け止めてくださって、

「でもね、こういうこともあるかもよ。」

「私はこう思うよ。」

などと言ってくれる。


私は、叱られたことはないけど、

そういう事のあった日は、家に帰っていつも猛烈に反省した。


私はだんだん、自分の純な心が感じることでも、

他人の人生に関することは、

口に出す前に疑ってみるようになった。

言いたいことが浮かんでいても、

奥歯を食いしばって、言わない努力をした。


それは、私が生きてきた狭い価値観から出てくる感情だ。

他人のそれとは全く別物である。


分かっていたつもりだったけど、

全然認識が甘かったと思う。

相手を自分の物差しで計り、裁くようなことをしていた私を

その方は、一度も叱ることなくゆっくりと気付かせてくれた。


続く...




タユムコトナキナガレノナカデ

朝、適当に音楽を流していたら、

いきものがかりの

「タユムコトナキナガレノナカデ」という曲が流れてきた。

今日の自分の気持ちにあまりにぴったりで、しばし聴き入ってしまった。


「何かにつかまる私の弱さは、もうたくさん...。」


私も本当にそうだった。

いつも何かにつかまっていた。

それは、マイルールだったり、こうであるべき、こうでありたい、という

「かくあるべし」だったり。

何でも良かったのだ。

自分がそれにつかまって立っていられるなら。


何にもつかまっていないと、不安感で逃げ出してしまいそうだった。

何かの線に沿っていないと、道を逸れていくんじゃないかと怖かった。

誰かと一緒じゃないと、自分が孤独だっていう事実に気付いてしまいそうだった。


だから私は、いろんなことにしがみついた。

皆が認めてくれそうな事に。

自分が正しいと決めた事に。


本当に、

何かにしがみついて自分を縛るのはもうたくさんだ。

それでも、今でも時々やってしまう。

そして、その不自由さにはたと気付く。

またやっていた、と。


そしてこわごわ手放していく時、

手かせ足かせを外された心は自由に飛び回り始める。


「たゆまぬ時の流れに 今あたしは

   何を思い 何を見て 何を感じながら生きるだろう

    恐れることそれすら 包み込める すべて愛し続けよう...」


      (いきものがかり 「タユムコトナキナガレノナカデ」より)


  

  





プロフィール

六花

Author:六花
ブログへようこそ。
六花と申します。
10代の頃から神経質症に陥り
30代でうつになりました。
今は森田療法のおかげで、元気に暮らしております。
そんな体験からこのブログを始めました。
日本由来の森田療法を多くの方に知ってもらいたいと願っています。

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