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唐揚げ屋

昨日は、夕方遅くの仕事があって、

寒かったのもあって、疲れてしまった。

帰って夕食を作るのが面倒になって、

帰り道、街角の唐揚げ屋さんで

出来立ての唐揚げを買って帰り、

豚汁だけ作って今日はオシマイ!にすることにした。


その唐揚げ屋さんは、テイクアウト専門の小さな店だ。

私が注文して待っていると、

すぐ横に小学校低学年であろう男の子が立っていた。

保護者らしき人は見当たらない。

寒そうに体を縮こませている。

暇だったので話しかけた。

「一人で買いに来たの?」 「そう」

「偉いね~」 「...もうずっと待ってる」

「そうなの~?」 [....」

お兄さん「焼き鳥はちょっと時間が掛かるんすよ~。ごめんな。」

「寒いね~。お母さんに頼まれたの?」  「うん」

「おつかいなんだ~、偉いじゃん」  「うん」


こんな寒い日の、しかももう日も暮れていて。

習い事か何かの帰り道なのだろうか。

寒空の下で震えて、お母さんからの頼まれ事を果たそうとしているこの子が、

とても健気に見えた。


そうしている間に、私の唐揚げは出来た。

お兄さんが「オネ~サン!オマケ入れといたよ!!」と言った。

「うれし~!!ありがと~!!」

*注) 決して「おね~さん」と言われた事が嬉しかったのではありません。


「気をつけて帰ってね。」

せめてもにそう声を掛けてバイバイした。

その子は、「うん、バイバイ。」と言って笑ってくれた。


寒いからだろうか。

そんな小さな交流だけど、心がポカポカして幸せを感じる。


大切なものは目に見えない。

でも心で見れば、

きっとたくさん見えてくるにちがいない。





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雪やこんこ

子どもの頃は、

雪が降ると、テンションが上がった。

真っ白に積もっていると、ワァ~!!と思ったものだ。


最近は、雪が降っても全然テンションが上がらない。

それどころか、いろいろ困るからめんどくさ~、と思う。

雪合戦も全然やりたくないし、

雪だるまなんて絶対に作りたくない。

冷たいし、重いし、疲れるだけだ...


雪でテンションが上がらなくなって、

あ~、私大人になってしまったんだな、と思った。


先週の雪。

朝も早く起きなきゃならないし、

自転車で仕事に行くも、所々凍りついていて、

怖っ~!疲れる~、と思った。


でも、二日目は

買い物に歩いていく時、

ツルツルのところで、ちょっとツーっと滑ってみたり。

誰も踏んでいない雪があると、

眩しくてきれい~と思ったり。

キーンと張った空気に、吐く息が真っ白だったり...


スーパーから出ると、

雪が横ぶりに降っていて

白く霞んでいく景色に

やっぱり心が弾む自分がいた。


雪やこんこ

あられやこんこ


うちの犬も雪の中散歩に行くと

やたらテンションが上がっている。

やはり知能は子ども並みだ。




飢饉

これは飢饉と呼んでいいと思う。


秋は雨が多く、作物が取れず

野菜が高騰している。


山が、爆発している。


疫病(インフルエンザ)が大流行し、

警報レベルに達している。


そして、この冬、

尋常じゃない寒さが続いている。


これが江戸時代だったら、

多くの人々が、病に、飢えに、寒さに

死に絶えるのだろう。


現代は、

食物が足らなければ、外から買えばいい。

電気でもガスでもどんどん使って、暖房もガンガン炊けばいい。

疫病だって、新薬がすぐに開発される。

医療も充実している。


何も怖くないのかもしれない。


だから特に危機感もなく、日々過ごしている。


その危機感のなさゆえ、

いつも通りに消費する生活を続け、

いつか自然からとんでもないしっぺ返しを食うような気がしてならない。





遊びをせんとや生まれけむ

森田先生は、遊ぶことが大好きだった。

  ピクニック、花見、温泉旅行、運動会、演芸大会、盆踊り、、、。


遊びをせんとや生まれけむ... 。(私達は遊ぶために生まれてきたのだろうか。の意)


東京のとある集談会では、

夏に盆踊りをやり、

冬にはフォークダンスをやるのだとか。

最初はすごく恥ずかしいと思うが、

きっとすごく楽しいだろうな、と思う。


東京では、秋に演芸大会が開かれている。

演目は、ピアノ、三味線、太極拳、踊り、腹話術、、、とある。

近かったら絶対見に行くのにな~。


神経質は感性が鋭いので、

芸術活動にはとても向いているのだと思う。


中部でも出来ないかな。

ミニ文化発表会。

考えるといろいろ恥ずかしいけど、ちょっとやってみたい。

演目は、

ハーモニカ、ギター、ピアノ、合唱、、、か。

ヴァイオリンが弾けたり、

フラメンコが踊れる方なんかも

もしかしたらいるかもしれない。


でも、いたとしても、みんな尻込みしそうだな~~。(*´~`*)

多分2,3人しか来ないな~。

私も恥はかきたくない。

でも、きっとすごくいいい思い出になると思う。


私達は心の悩みでつながった仲間だ。

普段は、どうしてもそういう話が中心になる。

だからこそ、全然違う何かを一緒にやってみたい!と思う。

料理、スポーツ、登山、カラオケ、バーベキュー

何でもいいと思う。


何でもいいから、いっぱい遊びたいと思う。

遊べば、笑顔が生まれる。


私達は、遊ぶために生まれてきたのだから。


歯医者さん

今日、初めての歯医者さんに行った。


前に行っていた近所の歯医者が嫌になったのだ。

予約して行くのに、いつも待たされる。

受付嬢がいつも変わっている。

しかも、いつも美人が座っている。

とっかえひっかえしている。


ここ数年行っていなかったが、最近歯がしみる。

冷たくてもしみるし、アッツイのもしみる。

行かなきゃ~、と思いつつ

あの歯医者に行きたくないので、ずっと延び延びになっていた。

新規開拓するのも、すごいパワーが必要だ。


今日行った歯医者さんは、

コーラスのお友達が教えてくれた歯医者さん。

初老の歯医者さん。

受付は、同じくらいのおばさん。

奥さん、、かな。


先生は、小声でいろんな事を言う人だった。

「あ、この4番がね、、。」「ふむふむ」

「むし歯、、、じゃないな、こりゃ」

「知覚過敏、、、かな、うん」


ギリギリ私に聞こえるくらいの声。

私に言ってるのか、独り言なのかがさっぱり分からず

答えていいのか、否か。

答えようにも、口をあけているから上手く答えられないし。


ずっと聞いてる内、

そのどっちつかずの状況が

だんだんに笑えてきた。

口も開けているし、そのままアハハハと笑えそうだった。


前の歯医者より、ずっと居心地が良かった。

だから、ここの歯医者さんでいい!と思えた。







今日は「大寒」。

なのに、生温かい風が吹いていて

全然寒くなかった。


買い物の帰り道、ふらふらと自転車で走っていたら、

どこからともなく煙の臭いが漂ってきた。

でも、辺りは静かで火事でもなさそうだ。

大丈夫だろうか。消防車が飛んでくるんじゃないか。

という思いが寄切りながらも、

いい匂いだな~、と煙の匂いを吸い込んでいた。


って、

すごく人間の感覚を刺激する感じがする。


ろうそくの火は人を癒すという。

アロマキャンドルもいいが、

お寺などで線香の香りや、ゆれるろうそくの火を見ていると心が落ち着いてくる。


煙の匂いをかぐと、なぜか私は年の瀬を思い出す。

子供の頃、正月が近づくと、

家の周りの田畑はきれいに刈り込まれ、

あちこちで草を燃やす煙が上がった。

きっと大掃除で出たゴミなども燃やしていたのだろう。


昔は、よくその辺でいろんなものを焼いた。

家庭のゴミも、庭の小さなドラム缶で燃やしていた。

学校にも焼却炉があって、焼却当番がいた。

ゴミも減って合理的だった。


でも、いつからか

消防法か何か知らないが、

その辺で火を出すことは出来なくなっていった。

生活の中から火が消え、

煙の香りも消えていった。


秋、公園には毎日すごいたくさんの落ち葉が落ちる。

でも、燃やせないので

何十ものボランティア袋に詰めて並べられている。

燃やせば、灰となって公園の木々の肥料になってくれるだろうに、

その落ち葉は捨てて、

肥料はまた外から買っているのだろう。


更には、その落ち葉で焼き芋を焼けば

ボランティアさんたちの、いいねぎらいにもなるだろうに。

たくさん焼けたら、公園で遊んでいる子ども達の

おやつになるかもしれないのに。

そういう循環は、今の社会では完全に

断ち切られている。


今日、煙の匂いをかいだ時、

ごちゃごちゃしていた頭が、一瞬リセットされた。


もっと生活の中に、を戻していきたいな、と思う。




一日学習会に感謝して...

一日学習会の続きです...


岩田真理さんのお話の中に、

印象に残る言葉がいくつもありました。


岩田真理さんは、言葉をとても的確に使われる方でした。

「出来ない事実(自分、だったかな?)を認め、受け入れる」

と言った後に、「「受け入れる」、とも違うわね。」と、仰った。

どうにもならない事実。

受け入れがたい現実。

辛い症状。

去らない不安。

森田先生は、それらは「どうにも仕方がない」と言ったのだ、と。


それは、ある意味「あきらめる」事。

でも、神経質は、

「いつも何かを「しようとする」」とも仰った。

「あきらめる」と言われると

神経質はがんばって「あきらめよう」とするのだ、と。

「あきらめなきゃ!」と思う。

そして、あきらめられないと、自分を責める。


やっぱりそれは、「あきらめる」でもなく、

本当に「どうにも仕方がない」のだなぁ、と思えた。


そう、私もあきらめられなかった。

いっそ色々あきらめられたらどんなに楽だろうと、思った。

そんな強欲?、謙虚になれない自分が、また嫌だった。


症状で苦しかった頃、

子供の学校行事に緊張して緊張して、いつも泣きたかった。

一生懸命、家を出る前にテンションを上げて上げて、

プラスの言葉を自分にたくさんかけて、出かけていた。

緊張してしまう自分を「認める」事も

出来ないのだったら一人でいたらいい、と

「あきらめる」事も出来なかった。


そんなあの頃の自分に、

「どうにも仕方がないね」と

言葉を掛けてやりたい、と思った。




乳母車

昨日、一日学習会があった。

東京から岩田真理さんが来て、お話してくださった。

岩田真理さんに初めてお会いした。


どんな人だろう~、とワクワクしていた。

岩田さんに会ったことのある人に、たくさん話を聞いても、

顔形までは分からない。

いろいろ想像していた。

でも、やっぱり思想の矛盾だった。

思い描いていた感じと、全然違う人がそこに立っていた。

思い描いていたより、ずっと上品、というか。

ずっと知的、というか。

(どんな想像してたんでしょ~か!?笑)

でも本当にそうだった。


そして

とてもお優しかった。

とても温かかった。

そして、一つ一つの言葉がとても的確だった。


パワーポイントで、

一枚の写真を見せてくださった。

それは、

こうもり傘を肩に差しかけた森田先生が

乳母車に腰掛けてニカ~っと笑っている、モノクロの写真。

着物から突き出た足が竹のようで、

その細い足の先に下駄を履いていた。


最晩年、体の弱った先生は入院生を引き連れて

こうして乳母車に乗って、梅を見に行ったりしたのだそうだ。

歩けなければ、乳母車に乗っていこう!!


森田先生は、ちょっとばかり恥ずかしい思いをしようとも

今年の梅が見たかったのだろう。

それで、この笑顔だ。


乳母車を押す入院生の恥ずかしさは、

ちょっとばかりではなかったろうけれど。


森田先生は、

最後の最後までこうして、

固定観念に縛られずに、笑って生き抜いた。

痩せこけていても、その姿に悲壮感はない。

どんな境遇になっても、生きることを楽しむ姿だった。


「不安タイプ」と「対人タイプ」

前にも同じようなテーマで書いたことがある。

「またか~」と思う方もおられるかもしれないが、

私の好きなテーマなのかもしれない。

(決して目の敵にしてるわけではありませんので、

不安タイプの方、誤解の無きよう~(´∀`*;)ゞ)


先日の集談会で、

ある不安タイプ(パニック障害、心臓神経症等)の方が、言っていた。


「今までは行動ばかりして、感情を失くしていた」と。

それで笑うことも泣くことも出来なくなっていた、と。

それで、行動をやめてみた。

今まで、家族のために自分の役割を必死にこなしてきた

その手を止めてみたのだ。

「自分が本当に大切にしたいモノはなんだろう?」

そんなふうに自分の心に問いかけながら。


そしたら、誰も困らなかった。

そして、みんなで久しぶりに笑って過ごせた。

その時間がとても幸せだった、と言っていた。


それを聞いて、私は

本当に「不安タイプ」と「対人タイプ」は

逆なんだな~と思っていた。


対人タイプは、

「行動していく事」で、

思考で膨らませていた観念の世界から、一歩出ることが出来る。


私は煮詰まるとつい閉じこもりがちになり

いろんな事が後回しになっていく。

そういう時、重い腰をえいやっと上げて買い物に出たり

犬の散歩に出ると、外の風が心に空気を入れてくれるのを感じる。

行動する事で、心のバランスが保てる。


不安タイプは、

「行動をセーブしていく事」で、

感覚感情の世界に一歩踏み込むことが出来るのかもしれない。


自分を追い立てていた「行動」。

あるいは「かくあるべし」。

それらを少しづつ手放していく。

そして自分のやりたい事だったり、自分の時間だったり、

自分の感覚を大事にしていっていいんだと思える時、

きっと自分軸で生きていくことが出来る。


不安タイプと、

対人タイプは、

神経症への入り口も、北口と南口くらい逆から入ってくる。


でも、森田の家の真ん中で、

行き着くところは同じなのだと思う。

そこでようやく

やっぱり根っこは同じだったんですね、と分かる。


そんな事を感じたこないだの集談会でした。


母になる

昨日の続きです...


そして、

その子に逢って、私はなんだか妙に納得していた。

こういう子どもの純真無垢な可愛さにほだされて、

女はついつい子どもを産んじゃうのだと。

(あ、もちろん私の場合です。みんなじゃありません。)

 

私はずっ~と不思議だった。

対人恐怖で、緊張の強い私が、

子どもを産むという事に、あまり迷いが無かった事が。


神経質で、何でも先回りして考える私が、

なぜ子どもを産むことに関してそれが働かなかったのだろう、と。

そして産んで初めて事の重大さに気が付いたのだが。


その事に、この日納得したのだ。

きっと友達や親戚の赤ん坊を見るにつけ、

そのキラキラした命の美しさに騙されて

不安のアンテナが鈍ったのかもしれない。

育児の大変さを聞いても

あまりちゃんと耳に届かず、

こんなに可愛いんだから、きっと何でも乗り越えていける!とでも、

思ったのかもしれない。


それを、母性というのか、ホルモンのいたずらなのか知らないが、

とにかく、私はそんな風にして

不安感よりも、きっと大丈夫!という妄想の中で母になったのだ。

脳が騙されたのだ。

上手くできているな~、と思う。


だってそうでなかったら、

「子どもを産み育てる」などという大事業に挑む人などいなくなってしまうだろう。

だからそれでよかったのだ。


騙されて、妄想の中で母になり、

育児する中で、すぐにハタと現実の厳しさに引き戻され、

泣いたり笑ったりしながら(断然泣くほうが多かったけど)

私も子どもと一緒に成長してきたんだ。


通常の感覚で判断し、選択できていたら、

私は子どもを産むという選択をしていなかったかも知れない。

おかげで、いろんな苦労も背負い込むけれど、

子どもがいたから突入できた恐怖もいっぱいあった。


あ~人生は不思議だ。

人生は何に支配されているのやら分からん。


だって、その時高2の息子は、始終シラ~っとしていた。

(これが彼の通常モードではあるけれど)

かわいいから抱っこしてみ~!と言っても

一ミリも動こうとしなかった。

旦那も冷静沈着だった。


私と娘だけがヒ~ヒ~言って、その子に夢中だったのだ。

完全に洗脳状態である。

怖いわ~。

あんなあどけない顔して、脳に訴えてくるとは。

でも、洗脳だろうがなんだろうが可愛いもんはカワイイ。


女は感情の動物とか言われている。

カワイイ!それが全てだ。

それでいいのだ。


女が理詰めで考えていたら

きっと人類はとっくに滅びている。





プロフィール

六花

Author:六花
ブログへようこそ。
六花と申します。
10代の頃から神経質症に陥り
30代でうつになりました。
今は森田療法のおかげで、元気に暮らしております。
そんな体験からこのブログを始めました。
日本由来の森田療法を多くの方に知ってもらいたいと願っています。

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