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大晦日

夕方、近所の大きな公園に行った。

公園の中に図書館があるので、

犬の散歩ついでに、本を返却ポストに放り込みに行ったのだ。


近所と言っても、歩けば20分ほどはかかるので、

滅多に犬を連れては行かない。

年賀状書きに煮詰まって、

気分転換で出かけた。


いつもたくさんの人で賑わう公園だが、

大晦日とあって、

人はまばらだった。

自然が多くて、いろんな匂いがするのか、

犬が喜んで、やたら引っ張る。


図書館も、カフェも、公園内の施設は

どこもかしこもガッチリ閉まって、正月飾りがぶら下がっている。

今年が終わっていくんだな~、と思った。


そして、ふと思い出した。

このブログを書き始めた日も、

この公園に来たんだった。

それは4月で、ちょうど森田先生の命日だった。

公園は、花見客ですごく賑わっていて、

遅かった桜が、風に舞っていた事を書いたんだ。


暮れていく今年最後の光の中で、

そんな事を思い出していた。





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今年の終わりに....森田療法の世界 ②

人は、思考や言葉を獲得したが故に

苦悩が増えた。

「恐怖」は、ただの「恐怖」だったのが、

「恐怖する事」を「恐怖」し出したのだ。


人はきっと賢くなりすぎたのだ。

だが、賢くなったものを、また無知に戻すことは出来ない。

その上で、

思考しだした事を、思考しないように変えていく。

「恐怖する事を恐怖」する人を、「ただの恐怖」に戻していく。


そのものすごく難しいパラドックスを

乗り越えたのが、森田療法なのだと思う。


私達は、思考や言語を獲得したが故に、

そのままにしておけばいいものを

こねくり回すようになった。


そうやって、しごく簡単な事象に、

勝手に意味付けし、何かに裏打ちされているように考え、

思考の遊戯の中で、

ありもしない虚像を、

まことしやかにでっち上げてしまう。

そして、それに振り回され、縛られ、苦しんでいる。


その虚像に、

ベタベタとくっついている、お札(ふだ)のようなものを

一枚一枚を、剥がしていけば、

ただの何でもない事実が、転がっているだけなのだと思う。


「純な心」は、

いくら思考にねじ伏せられても、

その上に、いくら言葉が重ねられても、

失われる事はない。


私自身、

何十年も、心の奥底に生の感情を封印してきた。

でも、消えてしまうこともなく、

じっと黙って、掘り出してもらえる時を待っていてくれた。


うつの時、

私の心は死んだのかな、と思った。

何も感じず、泣く事も笑う事も出来なかった。

でも、死んでいなかった。

ずっとずっと辛抱強く、心の奥の方で待っていてくれた。


久しぶりに心が動くのを感じた時、

私は、自分が自分の心にしてきた事が分かった。

そして、決意した。

もうこんな事続けてちゃいけないと。

ちゃんと自分の心を大事にしなきゃあ、と。

やり方も、方法も分からなかったが、

そのことだけは分かった。


純な心は、

主人の命を守ろうと、いつでも必死だ。


考えすぎて迷いそうになる私を、

いつでも、こっちだよと導いてくれる。


だから私も、純な心を大事にして、

一緒にどこまでも行こうと思う。


その先には、きっと

森田先生も目指した

調和と共感の世界がある。きっと。


ブログを読んでくださる皆様。

ありがとうございます。

また来年。

よいお年を。(o‘∀‘o)*:◦♪




今年の終わりに...「森田療法の世界 ①」

今年も大詰めだ。

ブログを書いている場合では、ない。


でも、やっぱり書いている。

しかも、ちょっと大仰な事を書こうとしている。

こちらも大詰めだ。

そういうつもりはなかったが、なんかそういう事になっちゃったので、書く。

誤解を恐れずに書いてみようと思う。


そして、これで、

今年を締めくくろうと思う。



森田先生の世界観。

私がとても共感でき、好きなところだ。

ちょっと難しいが、それを書いてみたい。

私が一番好きなところ。

それは、

「純な心」が行き着く境地。

森田先生は、人間を完全に自然の一部だと捉えていた。

人間が、あらゆる生命体の一番上に君臨しているわけでも、

精神が肉体を支配しているわけでもない。


ただ、そこに存在している命。

それだけだ。

そして、森羅万象の全ては同じところに向かっているという。

それは、「調和」「均衡」

この世界の事象の全て、「陰」「陽」で引き合っている。

プラスとマイナスとで、微調整をし合い、

均衡の取れるところを探している。

いついかなる時も、絶え間なく。

何一つとして、同じところにはとどまっていない。

そんな調整作用が働いて、この世界は微妙に均衡が保たれている。


そして、人間の肉体、そして精神までも、その例外ではないのだ。

自然に放っておく。

そうしたら、プラスとマイナスの間で微妙に揺れながら、

心も体も調和に向かう。

必ず。

そこには宇宙の法則が働いているからだ。

自然治癒力。それを最大限引き出そうというのが、

森田療法だ。


純な心は、調和へと導く「道しるべ」なのだと思う。

分からなくなったら、私はいつも純な心に立ち戻る。

人はいつも、感情と理知との狭間で揺れ動いている。

そして、周囲や社会と調和して行こうとする。必ず。


人間は、放っておいたら堕落する。

目的だ、目標だ、道徳だ、常識だと縛り付けないと、

人はまとまらない。社会は回っていかない。

本当にそうだろうか。


私は森田を学び、自分でも実感できるようになって、思うようになった。

それは人間を怠けさせないが為の、人間が作りだした理屈だ。

それは真実じゃない。

誤解を恐れず言うが、

きっと放っておいたほうが、上手くいくのだ。

放っておいて、自発に任せたほうが、調和に向かうのだ。

それが自然の摂理だから。


そして、自然治癒力は全ての人に備わっている。

純な心は、誰の心の中にもある。

それへの信頼感を取り戻す。

それが、森田療法なのだと思う。


続く...。


森田先生の人生 ②

岩田真理さんの本を読んで

伝わってきたのは、森田先生の人生そのものだった。


森田療法は、言葉では表現し切れない。

そしてその部分がわりと重要だ。

岩田さんの本は、

その言葉にならない部分を埋めてくれたのだと思う。


本を読んで森田が「分かった」わけではないが、

森田先生がどんな人で、どこを目指していたのか、

どんな考えを持っていた人なのか、を知った。

それは、理論を学ぶだけでは、知り得ないことだった。


そして、森田先生の目指した世界観は、

私の心の奥深くの、魂のしっぽみたいなものを

掴んでぶんぶんと揺さぶるようなものだった。


会った事もなく、

ただただ雲の上の人、と思っていた私が、

以降、森田先生にとても親しみを感じ、

心から敬愛するようになった。


だから、来年の夏は是非ともお墓参りに行きたいのだ!!

私の心の中に、森田先生は確かに生きている。


森田療法を通して知ったのは、

この人生は、

ただ事実のカケラが散らばっているだけだ、という事。

それにがんばって一つ一つ、対処していくだけなのだという事。

何のため?

誰のため?

何の目的で?

そんな難しい意味を持たせる必要は何もなかった。


そして、目をちゃんと開けていれば、

事実はいつもそこにあった。

それをちゃんと確認しながら、生きていく。


生きていく事って、

私が思っていたより、ずっとシンプルな事だった。

それが、森田が私に教えてくれた事。



今年もあと一週間。

ブログを書いている場合ではないな~。

ははは~。

笑ってごまかしながら、逃げ切ろう。 (≧∀≦)




天皇お誕生日

今日は、天皇お誕生日。


明仁天皇が84歳になられた。

そして、85歳の春まで働かれる。

私が普段、仕事で接しているお年寄りの方々を思うと、

本当にお可哀想だと思う。


退位された後、大好きな美智子様と

ゆっくりゆったり過ごされる時間が

たくさんあるといいなぁ、と思う。


お二人が、お庭の草花を愛で、小鳥を愛で、

お互いをいたわりあって微笑みあっているお姿は、

本当に美しい。


日本人は、この時期、

キリストの誕生日で騒いでいる場合ではない。

明仁天皇のお誕生日を、心静かにお祝いしたい。





冬至

今日は冬至。


だから、味噌汁にかぼちゃを入れようとか、


お風呂に柚子を浮かべよう、とか、


明日からは、一日一日、日が長くなっていく、とか、


そんな小さな事が、


今はとても幸せだ。





森田先生の人生

岩田真理さんの本の続きです。(12/14の続きです)


それまでは、森田先生の遺した言葉たちを読んで、

必死にその意味をつかもうとしても、

先生の言わんとする事は、

言葉は理解できても、なかなか実感は出来なかった。

一個一個の言葉の意味をひねくり回してみても、

言葉にとらわれることになり、無意味だった。


岩田真理さんの本は、

その一片一片の言葉の隙間を埋めてくれるようなモノだった気がする。


森田先生は、「あるがまま」や「純な心」を

言葉ではほとんど表現しなかった。

おそらく、

言葉にした途端、その言葉の持つ枠の中におさまってしまったり

聞く人によってその解釈が異なったりするからじゃないだろうか。


そして私達神経質者は、

そうやって枠に当てはめてみる事が大好きだ。

あるがままや、純な心は、

枠にはめた途端、命を失って地に堕ちていく。


いつもふわふわと揺れ動いているもの

どんどん移り変わっていくもの。

予想だにできないもの。

言葉でなく「感じ」でとらえるもの。


森田先生は、

自分の生活の全て、人生の全てでもって

それを神経質者に示そうとした。

体の違和感や、心の微妙な変化や、世間の目や。

それらを過度に気にし、とらわれ、がんじがらめになって

人生を生きられない、神経質者たちに

生きるとは、あるがままとは、純な心とは、

を全身全霊でもって教えていったのだ。


何という人生だろう。

何という情熱だろう。

何という愛情だろう。


(もう一回は書いてみたい。)

オアシス

昨日参加した集談会で、とても嬉しい事があった。


初めて来た初老の男性がいた。

その方が自己紹介で言うには、

お知り合いの方が、前にこの集談会に参加したそうで、

なかなかいい話が聞けるから行ってきたらと、

勧めてくれたのだそうだ。


いつも通り、ぐるっと自己紹介をし、

森田の理論学習をし、最後に3~4人のグループに分かれて分科会をし、

その方は帰って行った。


帰る前に、その方は

「いや~!今日はとてもいい時間を過ごさせてもらった!

すごく得した気分だな~。

こういう時間を持てるって嬉しいね!!」とか何とか言って

上機嫌で帰って行った。

よくしゃべり、よく笑う人だった。


ここは、誰にでも開放して、

人生の悩みや、辛さを分かち合える場所。

せちがらい世の中の、貴重なオアシスだ。


その方にここを紹介した人は、

何となく察しが付くが、同じ年頃のあの男性かな。

2,3回みえて、もうお顔が見えなくなった。

きっと元気でやっておられるのだろう。

そして、同じように悩むあの男性に勧めてくれたのだろう。


そんなに症状が重くない人は、

数回来て話を聞けば、何となく良くなってしまうものだろうか。

良くはならなくても、日々の生活の中で

何となく忘れていくのかもしれない。

私は神経症に「なった」人なので、

神経症にまで「ならなかった」人の事はよく分からない。

でもきっと、「辛い時はいつでもここに来よう」と思う事で

支えになるものかもしれない。


そうやって、つながっていくといいな。

そうやって、口コミで森田が拡がっていくといいな。

そんな風に、

発見会でもなんでもない、誰かと誰かが、

私達の全然知らないところで、

森田でつながっていた、という事が

私にはとても嬉しかった。


来年の目標

もう12月も後半戦ですね。

師走...早いです。


私の来年の目標を決めました。


「神経質の輪を広げよう~!!」です。


今年は、今までになかった経験をいろいろしました。

初めての集談会に、あちこち参加しました。

そこには、同じ地区でお互い何十年とやっていたにも関わらず、

ほとんど顔を合わせた事のない、あるいは、名前すら知らなかった方々もいました。

でも、話せば同じ神経質だし、もっともっと話してみたい、お話を聞いてみたい方が

たくさんいました。


また、他の集談会の方々と協力して、

セミナーや学習会を開いたりしました。

集まってくれたのは、いろんな集談会の方々。

県外からの参加者もあり、発見会は全国区。

日本全国、いや世界全土に神経症で悩む人達はたくさんいるのだ、と思いました。


私はずっと、自分の周囲半径1メートルくらいしか見えていなくて、

自分の行っている集談会の事しか、知らずにいました。

知ろうともしませんでした。


でも、今年一年、いろいろ感じるままにやってみて、

それらの人たちの存在をとても感じました。

来年は、それらの人達と、もっともっとつながりを持ち、

広く広く発見会活動をしていきたいと思いました。


中島みゆきさんの歌に、「糸」という歌があります。

その歌のように、一人一人が、縦の糸と横の糸になって、

発見会という名の布を紡いでいこう。


そして、その布は

「いつか、誰かを温めうるかもしれない。」

「いつか、誰かの傷をかばうかもしれない。」

          (「糸」より )





一日学習会

年が明けたら、発見会の東海ブロック 一日学習会があります。


1/14(日)

      10:00~16:30

      名古屋中村生涯学習センター 会議室

      定 員  40名

      参加費 1700円


プログラム:午前の部...発見会員による体験談 2名

        ー昼休憩ー(お弁当が出ます!)

      午後の部...講演会 

             講師:岩田真理さん

             テーマ:「純な心とかくあるべし

                     ~等身大の自分で生きるために~ 」

まだ数名空きがあるようです。


岩田真理さんにお会いするのは初めてで、今からとても楽しみにしています。


岩田真理さんの本は、森田関係の本で初めて私が最後まで読めた本でした。

学習会までにもう一度読み直したいと思い、今読んでいます。

今読んでいるのは、

「森田正馬が語る森田療法」です。


この本を読むまでは、

森田先生は、私にとって、雲の上の人でしかありませんでした。


この本を読み終わった時、

私の前に、森田正馬という、一生懸命に生きた一人の人が

存在感をもってそこに立っていました。


先生は、心底自分自身を見つめ、その心のままに生きた人でした。

汚なく、浅ましく、みっともなく、情けない中に、

人間の真実を見つけ、先生自身そういう人たちと何も変わらないんだ、と

一緒に泣き、一緒に笑い、

その中に、命のきらめきを見つけた人でした。


立派に生きなくていい。

自然に任せて生きればいい。


この本を読んで以降、

森田先生の言葉は、身近な人の言葉のように

私に語りかけるように、入ってくるようになったのだと思います。


(もう一回くらい書きたいと思っています。)

     

プロフィール

六花

Author:六花
ブログへようこそ。
六花と申します。
10代の頃から神経質症に陥り
30代でうつになりました。
今は森田療法のおかげで、元気に暮らしております。
そんな体験からこのブログを始めました。
日本由来の森田療法を多くの方に知ってもらいたいと願っています。

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