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今年の漢字

年末になると、今年の漢字を、

清水寺の和尚さんが、でっかい紙に筆で書く。

それを私は、いつも楽しみにしている。


私も、今年の漢字を予想してみました~!

発表しま~す!ジャ~ン!

「愛」で~す!


え~、ありがち~( ̄。 ̄)と思った方も多いだろう。

いいえ。けしてありがちではありません。

むしろ斬新!!なのです!


多くの方はこの字を見て

「あ~、愛の足りない時代だ」とか「犯罪がどんどん低年齢化して...」とか

言いたんだろうな~と思われると思います。

調べてみると、12年前の、2005年もこの漢字が選ばれていました。

その年は、「愛.地球博」が行われたり、天皇の娘さんの清子さんがご結婚されたり、

という出来事がありました。

そして、やはり選ばれた根拠の中に、「愛の足らない時代」という事がありました。


私が根拠として上げるのは、12年前にはなかった「愛」です。

それは、「i」です。

え~!?もはや漢字じゃないじゃん!と思った方。

そうです!斬新でしょう!

「iPhone」「iPad」「iPod」等々、アップル社のあの人気商品です。

うちの者達もことごとく「i」に世話になっております。

周りを見ても、本当に「i」を持っている人が多い。

「i」がこれほどまでに日本人の心を掴んだのは何でなんでしょう?


そして、iPS細胞の「i」です。

山中先生が、ノーベル賞を取ったあのiPS細胞です。

今年は、よくiPS細胞で、こんな病気が治るようになりました!という実用例を

何度か聞いたような気がします。(あまり詳しくは知らないです。つっこまないでくださ~い。)

山中先生は、「IPS」とはつけずに「iPS」とiをあえて小文字にして付けました。

それは、アップル社の「i」に乗っかったインパクト!なのだそうです。

この「i」は、人類医学に大きな進歩をもたらしました。

その実用化が進み、結果が見えてきたのが今年だと思うのです。

(ほんと~にあんまり知らないですけど~)


そして、もう一つの愛は、「AI」です。

歌手のAIさんではありません。

人工知能の「AI」です。

近年、すざましい勢いで人間の領域を凌駕してきている「AI」(エーアイ)です。

これも漢字じゃないし、もはや「アイ」とも発音しないじゃないか~と思った方。

でも、ぱっと見は「アイ」ですよね。


AIを搭載したペット、「アイボ君」が出てきた時はとうとうこんな時代が来たか~、と

思いましたが、もうその勢いはとどまる所を知りません。

日進月歩でAIは賢くなり、

今や車も運転し、将棋もできるし、料理も作るし、

洗濯物も畳んどいてくれるし、小説も書くとか...。

こうなると、AIが人間の上に立つのも、本当にそれほど遠い将来ではないのかも知れません。

う~ん。や~だな~。(*`ω´*)


そして、AIが賢くなればなるほど、人間はお馬鹿になっていくようで...

でも、不便と戦い、進歩し続けてきた結果が今であるのだけど、

本当にこれでいいのか?とも思ってしまう。

これは、人間を腑抜けにするための、どこかの誰かの壮大な陰謀か何かなのか???

など、疑い深い神経質としては、ただ有難くその恩恵にあずかろうという気に全くなれず、

疑いまくりの、反発しまくり。なのである。


森田を学んだ身としては、

自然には服従しても、AIになんか服従しないぞ~!と思っているのである。

やるべき事、なすべき事、面倒な事、全部ロボットに取られたりしたら、

「あるがままに成すべきを成せ」ないじゃないか~!

私のような神経質、頭でっかち人間は、行動を奪われたら、

ますます思考の世界に陥ってしまうじゃないか~!(*`へ´*)


そういう人は、あえて不便を選択することも、これからは意識的に必要かもしれない。

意識的にやっていないと、楽なほうへと流されるままに流されていると....

知らぬ間に、AIの僕かも~....!(ヤダーーー!)


その「i」や「AI」に漢字をあてるとしたら、

「哀」ではなく、どうか「愛」であってほしい。

きっと、正しく使えば「愛」になれると思うのです。

きっと仲良くなれる....かなぁ...?ヽ( ´_`)丿


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集談会とゆかいな仲間達。(遠足編..②)

本町通のどんつき、犬山城の麓にはお稲荷さんがあり、

狛犬ではなく、おキツネ様が座っている。

「犬山城への近道こちら」の看板に従って、お稲荷さんの横をすり抜けていく。

すり抜ける時、横から見えたでっかい白ギツネが、

「こ~ら~お賽銭を置いていかんか~い~」と

こちらを睨んでいるようだった。ヒ~!

逃げるように真っ赤な千本鳥居を抜けると、そこはもう犬山城のお堀だ。

ゆるやかな石段を登っていく。


「国宝犬山城~」

その屋根のシャチホコは今年の夏、

雷が槍のように降った日に、直撃を受けて破損した。

片シャチ、手負いの犬山城である。

ガイドさんに「シャチは直りましたか~?」と聞くと、

「まだまだ。今焼いてるところだよ。来年の3月だよ。」と教えてくれた。

ここのシャチは瓦で出来ているそうな。

私は鉄か鉛かと思っていた。


親切なガイドさんが「写真を撮るならココがベストです。」と教えてくれた。

雨が降っているし、ちょっと躊躇したが、

せっかく言ってくれているのだし、私達は言われたように並んだ。

天守が見えなくなるからと、傘を閉じてじっとしていた。

あるあるだが、カメラの扱いが分からず、取り直した。

雨が冷たかった。


でも、我慢して撮ってもらってヨカッタ!

立ち位置まで指定してくるだけのことはあり、背景に美しく天守が写りこんでいる。

私達の「はよしてくれ~」という純な心も、上手くカモフラージュ。

みんなニッコリしている。さすが、神経質~!

感情と行動は、キッチリ別である!


いよいよ城内へ。

昔のままの階段は、ほぼ直角。段差がすごい。

ココへ来た事ない人への注意点はたった一つ。

絶対にスカートをはいてきてはいけない。

下の人から丸見えである。

(まあ、見えてもいい人はご自由に~

天守閣からの眺めはすばらしい~。

遠くには、名古屋駅のビル郡が見えていた。

反対側は、すぐ下を木曽川が流れている。

雨続きで茶色く濁った木曽川。

そのすごい川幅で、まだ遥か下まで静かに流れていくこの川に、

何だか圧倒される。


犬山城を出て、ランチに行った。

行き当たりばったりで入った店の、田楽ランチは美味しかった。

店を出ても、まだ降っていた。

う~ん、しつこい雨だな~。予報ではもう上がるころだ。

その後、日本庭園の「有楽園」を見学し、

最後はカフェに入って、もうひとしゃべりした。


カフェを出ると、雨は上がって、青空が見えていた。


また本町通を戻る。

漬物を買い、ピンクのドリームキャッチャーをやっぱりキレイだな~、と思いながら通り過ぎ、

インスタカラフル団子を帰りに食べるつもりだったが、

もうお腹いっぱいで、誰も食べられなかった。

そして、一回曲がって犬山駅へ戻った。

このちゃんは地元なので、ここでサヨナラした。


今日の雨がうそのように、

駅のホームは夕日に照らされていた。

そこで、よっちゃんが「あ~っ!!」と言って、

リュックから、イチジクの煮たのを詰めたタッパーを取り出した。

小さなリュックのどこにまだそんな物を隠し持っていたのか!

今日どこかで食べようと思って持ってきたらしいが、タイミングがなかったのだ。

まさか田楽屋で、「デザートで~す!」ってタッパー出すわけにも...ねぇ。

急遽よっちゃんは、大胆にもホームのベンチで、いちじくを分け出した。

隣のおじさんが何事かと見ている。

ホント~に、主婦は強い。

よっちゃん、いつもありがとう

自宅で美味しくいただきました


今日一日のご縁に感謝。

今年の「ハイキング」も、とても楽しかった~!

集談会のゆかいな仲間達。

どうもありがとうございました~。(*^_^*)












集談会と、ゆかいな仲間達。(遠足編)

10月の集談会は、恒例の「ハイキング」で外に出かける事になっている。

「ハイキング」と言っても、実際は動物園や、水族館、庭園散策などが多く

この行楽の季節に、会議室を飛び出してランチやお茶でもしながら、

いつもとは違った雰囲気で仲間と交流しよう!という企画だ。


私は、入会当初からこの企画だけは大乗り気で参加していた。

当時、対人がひどくてちっとも集談会の輪に入れず辛かったが、

外に行き、ざっくばらんな雰囲気の中でなら、気軽にいろんな人といろんな事が話せたからだ。

これは「レクリエーション」とか「遠足」と呼ぶべきだと

私は当初から思っているが、みんな頑なに「ハイキング」と呼び続けている。

まあ、いいですけど~。

でも、つい先日ハイキングについてブログに書いたばかりなので、

混同しないために、こちらは「遠足」とした。


今年は、犬山城とその周辺散策&ランチ~!!

参加は、5人。

朝、犬山駅に集合し、そこから歩いて犬山城へ向かった。

静かな雨が降っていた。

でも私達のおしゃべりは、のべつまくなしうるさかった。


駅前商店街を真っ直ぐ進み、

一回曲がると、本町通りだ。

通りの正面、向こうの方に国宝犬山城がそびえている。

通りの左右はたくさん店屋が並んでいて、

どの店もちょっとのぞいていきたい店ばかりだ。


雑貨だったり、団子屋だったり、

カフェだったり、漬物屋だったり。

昔、城下町だったのだろう。


ピンクのドリームキャッチャーやっぱり買えばよかったな~。

よっちゃんは、婦人会手作りの温かそうな毛糸の帽子を買った。

私も、イチゴのアクリルたわしを買った。

台所でもう使っているが、色といい形といいカワイイ。

笑ちゃんオススメの漬物屋があって、

みんなで試食した。

美味しいから、買おう買おう!となったが、

漬物は重いから、帰りに買おう!という事になった。

この日、急遽遠足に参加したこのちゃんは、

インスタで大人気!カラフル団子を家族土産に買っていた。

ジグザグ歩いてちっとも前に進まない私達を、

Qちゃんはあきれて笑っていた。


山車会館にも寄った。

まるで高山祭りのような、立派な山車が犬山のお祭りでも出るようだ。

昼間はからくり人形、

夜は提灯をいっぱいぶら下げて、この通りを練り歩くのだろう。

知多半島に住んでいる、よっちゃんやQちゃんの町のほうでも

やっぱり祭りで山車が出るのだとか。

世話人からメンテナンスからお会計から、それはそれは「えらいこと!!」だそうだ。


でも、祭りのない街に住む者からすると、

そういう祭りが作る地元のつながりをちょっとうらやましい、と思う。

大勢の人が関わって一個の事をやり遂げる「祭り」。

純な心で言えば、「面倒」な事だらけだろう。

でも、その向こうに祭りの生み出す、大きなコミュニティや絆が見える。


私の住む町もそうだが、

近年、面倒なことはだんだん姿を消して行っている。

お互い関係なく、さっぱり暮らしている。

関わろうとしなければ、どこまでも関わらずに済んでいってしまう。


あら、だいぶ脱線してしまった。

私達と同じで、ちっとも犬山城にたどり着けないわ~ (笑)

長いから、次回へ続く...


コインランドリー

雨続きで全然洗濯物が乾かないので、コインランドリーに持って行った。

家で3回分洗っておき、大容量乾燥機に放り込むのだ。


日曜だったし、どこも事情は同じで、かなり混雑していた。

少し待っていたら、空いたので、30分乾燥機を回した。

車の中で待つ人も多かったが、

外は雨だったし、店内には漫画や雑誌が充実していて、

私は店内で待っていた。

そんな中で、おじいさんが孫であろう幼稚園くらいの男の子を連れて来ていた。

やたらチョロチョロする子どもだった。

しばらくして、おじいさんの乾燥機が終了した。

取り出す時に、孫が「やりたい!やりたい!」と言い出した。

おじいさんが袋の口を開けているところへ、

孫は洗濯物を一個一個入れだした。

手が小さいし、背も低いし、遊びながらだし、

いちいち「これは誰の?」とか聞いている。

むちゃくちゃに時間が掛かりそうだった。


「マジかよ~。」と私は思った。

店内には洗濯物を抱えて、乾燥機待ちの人が二人ほどいたのだ。

おじいさんは気付いていないのだろう。

私は自分の事ではないが、イライラした。

保護者がいるのだし、私はあえて何も言わなかった。


そして、やっと取り出し終わり、やっと空いたな~と思っていたら、

今度はその孫が、乾燥機の中に頭を突っ込み、

ギンギラの乾燥ドラムをバンバンと叩いていて遊び出したのだ。

おじいさんは、洗濯物を整える事に一生懸命なのか、何も言わない。


私は、自分の乾燥機が終わりそうだったので、

その子の乾燥機の横に立っていた。

いつやめるかと思って見ていたが、ちっともやめる気配もなければ

おじいさんが止める気配もなかった。

私は見るに見かねた。

そして、坊やの肩をトントンと叩いてこちらを向かせ、

話しかけた。

「ねえねえ、やめようか。

順番待ってる人がいるよ。」

坊やは、一瞬ぽかんとしていたが、

おじいさんもそこでやっと子供の名前を呼んで、制した。

そして、ほどなく明けてくれた。


その子が、何を感じたのかは、その表情からは読み取れなかった。

普段あまり物を注意されるという事がないのかもしれない。

でも私は、極力驚かさないように、優しく言ったつもりだ。

でも、目は笑ってなかったと思う。

私の真剣さが伝わってくれればいいのだけど。


私はこういう時に、黙っていられない性質だ。

ちょっとした譲り合いで、お互い気持ちよく使えるなら、

たとえ相手が幼稚園生であろうと言ってしまう。

逆に黙って見過ごすことのほうが、私にはストレスになる。

言えなくて、後から後悔したりもする。


神経質は、モラルやルールといったことに敏感だ。

過敏と言ってもいい。

それが強すぎて、自分の素直な心をねじ込めてしまうほどだ。


人間は社会的動物だ。

その子の中で、自分が乾燥ドラムで遊んでいたら、

神経質なおばさんが、何かしら自分に文句を言ってきた、

というこの日の出来事を、心に留めておいてほしいと思うのである。

もしまたコインランドリーに来て、乾燥ドラムで遊びたくなったら、

思い出してほしいな、と思うのである。


でも、すいてる時なら少しくらいは、あのギンギラギンのドラムに頭を突っ込んで

グルグルするのもそりゃ楽しいだろうと、おばさんも思っているのである。

ハイキング ③ 知的解説編

いこいの森の麓に建っている、横蔵寺。

1200年前に開かれた、天台宗のお寺。


森を歩いてみると、この山中も

かつては横蔵寺の境内であった事が伺える跡が、多く残っていた。


山中に本堂跡があり、それを守るように仁王門跡も。

リーフレットによると、

鎌倉時代、多くの僧房があり、たくさんの僧が暮らしていたのだそうだ。

そして、馬を飼い僧兵として、戦にも出かけていたようだ。

戦国時代。織田信長の延暦寺焼き討ちの際には、

ここ横蔵も全てを取り上げられたようだ。

伝道大師 最澄の教えは焼き払われ、血生臭い歴史の悲劇が見えてくる。


そして、延暦寺再建のため、この横蔵のご本尊「薬師如来」が移され、

現在の根本中堂のご本尊となっているそうだ。

で、ここ横蔵のご本尊はというと、

新たにどこかのお薬師様を安置し、それは秘仏で何と60年に一回しか御開帳されないのだとか。

なぜ、そこまでもったいぶる必要があるのか全く理解できないが。

お薬師様とて、みんなに拝んでもらい、お顔を見てもらったほうが嬉しかろうに、

と凡人の私は思ってしまう。


そして、この寺の見るべきは「ミイラ」である。

何と、若干37歳にしてミイラとなった、若者ミイラである。

座禅を組んだ膝頭は、ごつごつとしており

若かったから、骨が丈夫でこのように完全な形で残ったんだろうか、などと思う。

横蔵で生まれ育ったこの人は、全国を修行に出て、

どこやらの洞窟で断食修行の末、即身仏となって

200年後の今も、ここにこうして座っている。

若者は、命を賭して何を祈っていたのだろうか。


そして特筆すべきは、

無愛想なおばちゃんが「日本に3体しかないよ!」と一押しの、

「沙悟浄」の立像である。

あの三蔵法師のお供をした事で有名な「沙悟浄」である。

日本では、河童のようないでたちだが、

この立像は、決して河童ではない。

やたら頭が細長く、ぬらりと立っており、

怪しく伸ばしたその四肢には、蛇がグルグルと巻き付いている。

その目は、忍者ハットリ君のような「無」というか...

ずっと見てると、怪しい術にかけられそうな...(笑)

確かにこれは、人でも神でもない。まさに妖怪だった。

調べてみたら、

本来、天竺辺りでの「沙悟浄」というのは、水辺に住む精霊というような物で、

日本に「西遊記」が入ってきた時に、イメージとして一番河童に近いという事で

河童の姿があてがわれたようだ。


あとここの名物は「ヒル」である。

登山靴にもくっついていたし、お堂の畳の上にも這っていた。

おばちゃんたちは、各自塩を常備しており、

ヒルが出ると、ナメクジのように塩をぶっかけてやっつける。

ヒルなんて、久しぶりに見た。


境内にたくさんあるもみじは、まだ青々していた。

ほんのり葉先が色づいているくらいである。

貼ってあるポスターのように、来月のもみじ祭りの頃には

この境内も真っ赤になるのだろう。

そしてたくさんの人が訪れるのだろう。


喫茶店でお茶を飲んで、店を出ると、

もう暗かった。

秋の日のつるべ落としだ。

町の明かりがないと、こんなに夜は暗い。

時々田舎に来ると、

普段自分がどんなに明るいところで暮らしているかって事に気付く。


この日は、ほとんど人に会わなかったから、

私の中で横蔵は、山奥のうら寂しい古寺。という印象が残った。

是非また来たい。

真っ赤な横蔵も見てみたいし、

近くの華厳寺もちゃんと見てみたい。

華厳寺の春は、長い参道の桜並木がきっと見事だろう。


ご一緒した友が、この日作った歌を送ってくださった。(^o^)


「ゆく秋に 美濃の横蔵 山越えて

         歩む友びと 楽しき声も」   


素晴らしきかな、神経質の輪~!


ハイキング ②

登り始めて2時間半。

一応目指している600mピークがよく分からない。

尾根に上がって縦走しているが、

イマイチ展望の開けたピークらしいピークがない。


皆も歩き疲れていたし、お昼もだいぶ回ってお腹がすいていたし、

その辺の適当な平らな広いところでお昼にした。

銘々、コンビ二で買ったお弁当を広げた。

コンビニの弁当でも、自然の中で食べると美味しい~。

空腹は何にも勝るご馳走だ。


Iさんが、みかんやら明太子味のチーズやらいろいろリュックから出して

食べろ食べろと皆にくれた。

ほかにもチラシやらをみんなに配ったり、三脚やらカメラやらいろいろ出して

一人、とっ散らかっていた。

林の中。山頂でもなんでもない登山道の上で、私達は記念写真を撮った。


山登りはよく人生に例えられるが、

この日の山行も、何だか森田を学ぶ私達らしいような気がした。


森田を学んだからといって、急に目の前が開けて、

ヤッター!!!人生バラ色!

って訳じゃない。

上ったり下ったりの繰り返し。

着いたかな?と思ったけど、またその先には道があり...

ピークなんてどこどこ?って。

木々に遮られて展望開けず、でも何となく広く、高く気持ちよい。

一緒に歩く友がいて、一緒に弁当を食べ、道中励ましあい、慰めあい..。

それでいいではないか。

ねぇ、友よ。


そして、思い返せば一番展望が開けていたのは、

皮肉にも、途中の車道と交わった場所。

一回森が切れ、そこそこ標高高く、遠くの山並み、裾野が見えていました。

わざわざ歩いて登ってんのに、一番開けたところが車道の上なんて。

車で来れば良かったじゃんって、心の中でつぶやいた人~?


しかし、友よ。

そんな楽して車でピューっとピークに到達したとて、人生何が面白いのか?

ヒイコラ言いながら自分の足で一歩一歩登っている我らの横を、

車で抜き去って行くやつらが、私達を笑うかもしれない。

まあいいじゃん。

私達は、こけながら、嘆きながら、景色を楽しみながらゆっくり行こうよ。

それがとても神経質な私達らしい、と思うのである。


そして、これこそが「思想の矛盾」の打破ぞ!

山へ行けばいつも開けたピークがあるわけではないのだ~!

山へ行ってもピークがない場合もある!笑

登山の終点が車道!という場合もある。

友よ。現実を逃げずに直視しよう~!


森田のよい学びにもなり、こうしてブログのネタにもなり、

ずっこけるやら、笑えるやら。

とってもいい山行だった。


下りは早かった。

一時間半で降りてきた。

IさんとYさんのおしゃべりは、とどまるところを知らず、

ぺちゃくちゃしながら後ろのほうからついて来た。


今回基点となった「横蔵寺」。

そこの名物?はなんと即身仏となった「ミイラ」。

今回、「谷汲に行く」と言ったら、何人かの人に「あ~!ミイラの!!」と言われた。

その「ミイラ」を見学すべく、超つっけんどんなおばちゃんに拝観料300円を支払った。


まだまだ続くよ~。





ハイキング

昨日、発見会の皆さん6人で岐阜の山に出かけた。

男子3人、女子3人。

3~40代が3人。60代以上が3人。

なんだかとてもいいバランスだ。


発見会のいいところって、

いろんな年代と知り合えるところだと思う。

集談会に行けば、自分の親の年代から、

自分が一番辛かった頃の、20代30代の若い世代も来る。

もちろん、近所や自治会の中にもそういう年代はいて、

知り合ってはいるけど、真剣に人生について語り合ったり、

一緒になって、何かやっていくという事はほぼない。

同年代でも、なかなかそういう事ってないと思う。

だけど、発見会は、男女問わずいろんな年代と知り合い、

悩みや人生について語り合い、協力して何か一つの行事をやったりする。


今回の山登りもそうだ。

私はたまたま皆お知り合いだったが、

お互い初対面とか、ほとんど話した事のない人もいたと思う。

でも、お互いに心の悩みを抱えている「仲間」。

山で一緒に過ごす、今日一日のご縁を大切にしよう。


コースは、岐阜県の「横蔵寺いこいの森」。

標高600mと聞いて、初心者コースと思っていたが、

「いこいの森」というわりに、普通に山登りだった。

二人は、人生初の山登り!


秋の長雨がこのところ続いていた。

3日前の天気予報では、完全に中止だと思っていた。

だが直前になって予報が変わり、この日だけぽっかり一日雲が切れた。

奇跡だ~!

私達はそんな雨の合間を縫って出かけた。

山はよく晴れて、風もなくとても静かだった。


雨続きで、森はしっとり。コケが青々生き生きしていた。

沢沿いの道は、登山道までちょろちょろと水が流れていた。

マイナスイオン一年分くらい浴びたんではないだろうか。


九十九折に急斜を登って行く。

自然に詳しいYさんが、草木について教えてくれる。

日本固有のアゲハ蝶「ギフ蝶」(絶滅危惧種)の幼虫が好む

「カンアオイ」が登山道に植えつけてあった。

(帰ってネットで調べましたよ~!確かにカンアオイの葉っぱでした!)

たくさんどんぐりや、木の実が落ちていた。

いつものように私は歩きながらこっそり拾った。

昔はシイの実を食べたよと、先輩方が教えてくれた。

フライパンで炒って食べたのだそうだ。


「熊に注意!」の看板。ヒ~!

誰かのリュックに付けた熊除けの鈴が、

歩くたびにチリンチリンと鳴っていた。


続く...











認められたい欲求

ヘルパー事業所で、

毎年この時期になると、

頑張っている人を数人、表彰する事になっている。


ちょうど一年前のこの時期に、モヤっとしたことを思い出した。

知り合いのママヘルパーが、表彰されたのだ。

しかも、2年連続で!

私は図らずも、モヤっとした。


だいたい、私は仕事に関しては、「表彰されるように頑張ろう!」とか

あまり思った事はない。

いいサービスを提供したい、とは思っている。

そしてまあまあいいサービスを提供できているんではないか、という自負もある。


知り合いヘルパーさんは、年数的には私より後に入っている。

彼女の仕事ぶりはよく知らないけれど、

大変に失礼だが、まあ「普通」だ。

2年も連続で、表彰される理由は?

私との差は?

なんて思いながらモヤっとしたのだ。


表彰された理由は、後々分かったのだが、

その時は何も知らなかったので、

そんなに私より優れてるっての!?(そんなに私のほうが劣ってるっての?!)

(恥を偲んで書いております

と、しばらくウジウジモヤモヤして、

行き当たった。


私は、認められたかったのだ。と。


(一応)マジメに勤務し、そこそこ貢献している(つもり)だった。

お客さんやサ責とも、一件一件私なりに誠実にやっていた。

問題や改善点がある時は、サ責に提言し、

それでサービス内容が大きく変わったお客さんもいた。


同じ人に二度あげるなら、一回くらいほかに回したっていいんじゃな~い?

(例えば私とか)

表彰とか興味ないし、と言っておきながら本当に恥ずかしいのだが、

まあ、そんな感情が湧いたのだ。


自分で、「あ~私すごく認めてもらいたかったんだ。」と分かったら、

自分のモヤモヤに合点がいって、スッキリした。


その後、その知り合いヘルパーさんは、「常任ヘルパー」(フルタイム)に変わり、

今年から「サ責」になった。

彼女は、めちゃめちゃに頑張っていたのだ!

私なんて、時間数は全然やっていない。

よくサ責にも言われる。

「もう少しやりませんか~?」と。

でも、やんわり無碍に断っている。


質はいいかもしれないが、量はこなせない。

私は多忙は苦手だ。

忙しくなって、家事やらいろんな事がおろそかになっていくと、

私は自分を追い詰めていくだろう。

性格上、いろんな事を「適当」に済ませられない。


自分の時間も欲しいし、

発見会活動もしたい。

絶妙に、適当にゆるく働いている。


だから多分、時間数で表彰の対象にすらならないのだ。

そりゃあ会社は、事業所のためにガンガン働いてくれる彼女を表彰するだろう。

もうそういうことなら、彼女を表彰してあげてほしい。

私は足元にも及ばない。


でも、

「サービス向上に頑張ったで賞」くらい貰えてもいいかも~。(笑)

やっぱり、認めてもらいた~い





今、キンモクセイが満開だ。


自転車に乗ったり、犬と歩いている時

ふわっと香り、

振り返る。

そして、どこに咲いているかな~と探す。


木の大小に関わらず、

少しでも花をつけていれば、香って教える。

オレンジ色の小さなかわいい花。

散らしたように咲いている。


本当にいい香りだ。

私は香りの強い花が好きだ。


春を告げる、沈丁花。

梅雨時に真っ白に咲く、クチナシの花。

そして、ジャスミン。

ある家の庭先に、伸び放題に伸びたジャスミンがあって、

花が咲くと、すごいいい香りをふりまいていて、

そこを通るのが楽しみだった。


今は銀杏もたくさん落ちている。

あまり拾う人が無いのか、実が入ったまま踏み潰されて

これまたすごい香りを放っている。

本心は拾いに行きたいが、

ここはまあまあ街中。

人目の気になるところでもある。


でも、イチョウの落とす、タダのお恵みを

みすみす見逃すのも大変にもったいない。

自然物を拾うことが大好きな私としては、

いつか、イチョウの「物の性」を尽くすべく、

ゴム手袋をして、早朝拾いにいきたい、と思っている。


今日は皆さんの嗅覚を刺激してみました~。

フォスター

私は、小さな地域コーラスに入っている。

地元の学校の文化祭に出たり、介護施設に歌いに行ったりする。


今練習している曲は、

フォスター。(アメリカの作曲家、スティーブン、フォスター)

「スワニー河」と、

「主(あるじ)は冷たき土の中に」という曲をやっている。

160年ほど前の曲だが、どちらもとても有名な曲なので、

聞けば、必ずどこかで聞いたことのある曲だと思う。


「主は冷たき..」は、中学校の音楽の授業で習った。

この歌は、亡くなった人を偲んで、墓地で歌った外国の歌だ、という

事くらいしか知らなかった。


  「青く晴れた空、白い雲 そよ風やさしく 昔を語る

   思い出す あの笑顔 眠れよ 静かに静かに眠れ」


子供の時に覚えた事は、忘れないと言うが、本当だ。

私は今でもソラで歌える。

大切な人が亡くなってしまって、さみしいけど、

空の青さと、風がやさしく慰めてくれるよ、というような歌かな~、と思って歌っていた。

亡くなったのは、主だから、お父さんかな..と。


今歌っているのは、少し訳詩が違う。

そして、歌い込むうちに、この歌の本当の姿が見えてきた。


「野ずえを渡るや なげき歌 今日も変わらぬは 鳥のさえずり

茂るくさむらの おくつき(墓)に やさしき主は あはれや眠る

果てもなき 草の原 絶え絶えきこゆる 歌声わびし」


こちらの歌詞のほうが侘びしい、荒涼とした感じが出ている。

歌の背景はこうだ。

19世紀、アメリカのプランテーションの黒人労働者達が、

心優しい農園主(白人)を偲んで、墓地で集って歌っている様子を歌ったものだ。

この曲の醸し出す侘しさの向こうには、

故郷を遠く離れて、異国で強制労働を強いられている者たちの

さみしさや辛さがある。

異国の厳しい労働の中においても、人種や主従を越えて、

人情があり、豊かな心の交流があり、一生懸命に生きる人々の生活がある。


そういう背景を知っているのと、いないのとでは

歌い方は全然違ってくる。

そして思いを込めて歌う時、

歌は色を帯びてくる。歌の命が輝き出すのだ。

それが人を感動させるのだと、先生はいつも言う。


肌の黒い人たちが、荒れた墓地の一角に

一つの墓を囲んで頭を深く垂れている。

冷たい秋風が吹き渡っている。

異国の地で出逢った心優しき人。

彼を懐かしんで、故郷に伝わる嘆きの歌を歌おう。

まもなく冬がくる。

冷たい土の中で、主は彼らを見守りつづけるだろう。


プロフィール

六花

Author:六花
ブログへようこそ。
六花と申します。
10代の頃から神経質症に陥り
30代でうつになりました。
今は森田療法のおかげで、元気に暮らしております。
そんな体験からこのブログを始めました。
日本由来の森田療法を多くの方に知ってもらいたいと願っています。

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