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感謝の中で

まことに急ではありますが、

ブログを一旦終了する事にいたしました。


いつもコメントをくださった方々、

    本当にありがとうございました。


会うと、感想や励ましをくださった方々、

    本当にありがとうございました。


お会いした事もないけれど、

    いつも読んでくださった方々、

       本当にありがとうございました。


またどこかでお会いしましょう~。

             六花



「一期一会」 作詞、作曲:中島みゆき

https://www.youtube.com/watch?v=AV-gYE_eKFM






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うつ真っ只中

あ~~~あ。

うつにつかまっちゃった~~~~~あ。


やだな~~。

頭の回転、半分以下。

体もこれまた、半分以下。

寝てる時間、倍近い。

食べる量、半分以下。

3キロ減量成功!(ラッキー!!)


しばらくブログもや~めた~~、

と思っていたけど、

書きたい事があるので書きますね~。


昨日、仕事でお客さんと話している時です。

いつものように話せなくて、

会話がぷつぷつ切れてしまうんです。

お客さんも、ちょっと違和感感じているような、いないような?

これでも私は必死に頭を回転させて喋っているんです。

それでもこんなんだから、

心のどこかで、その気持ち悪さを嘆いているんです。


その時ふと思ったんです。


「自分を許したい。」....と。


一生懸命やっているんです。

でも、出来ないんです。

出来てた自分と無意識で比較しているんですね、きっと。

違和感を感じているのは、他でもない自分なんです。

それが何となく苦しいんですね。

「ウツじゃなかったら出来るのに」とかどこかで思ってるんですね、きっと。

意識でそう考えたわけじゃないんですが、

真綿で首を絞められるような気持ち悪さを感じていました。


その時、

「出来ない自分を許そう。」「許したい。」

           と思ったんです。


そしたらその後は、

会話が止まろうがなんだろうが、ヘラヘラ笑っていました。

頭の中は真っ白けですわ。ははは~。(〃▽〃)


例え、お客さんが「そんなあんたは来てくれんでもいい。」

と許してくれなくても、

私が私を許せばいい。


でも、お客さんでそんな人は一人もいません。

どんな私でも、「来てくれてありがたい。」と言う人がほとんどです。

私はいつも許されていたのです。


みんなが許してくれているのに、

「そのままでいいよ」って言ってくれてるのに、

自分が自分を許していなかったら、

私がかわいそう。


だから、私が私を許そう。

        そう思ったのです。


(誤解されては困るのですが、だから完璧に自分を許せるかって言ったら

そうでもないんですよ~。神経質な未熟者ですから~~。生涯学習中ですわ~~。)

ぼちぼちやります。(*^^*)





海の底へ....②

自分の「事実」が見えると

私は少し安心した。

それはグルグル渦巻く渦潮の中に見えた、細い一本の糸だった。

私はその糸にすがった。


自分の「事実」をかみしめながら、

「あ~、私は今何も感じないんだな~」

と思った。


天井を見ながら

12年前うつになった時の事を思い出していた。

そして少し泣いた。

辛かったからじゃない。

「私、よくこんな中でがんばってたな~」と、

本当に思ったからだ。


そして、

今なんにも感じなくても、

たとえ重度のうつ状態であろうとも、

どんなに探しても、今はこの私しかいないわけだから、

「この私から出発するしかない。」

と思った。


いろいろ考えると、心配だし、怖いし、不安だらけだ。


今まで自然に感じ、動けていた。

でも、今はできない。

だからもう

「出来ていた過去の自分は忘れよう。」と思った。


これから先、自分がどうなるか全然分からない。

いつまでこういう状態が続くのか、すぐよくなるのか、

全く分からない。

だからもう

未来も考えないようにしよう。」

と思った。


過去を見ても、今と比べて落ち込むし、

未来を見ても、不安で落ち込む。

だから、とにかく

「今ここにいる自分」だけを見よう。

と思った。


「今ここ」の自分だけを見ていると

何とか動くことができた。

体が動くと、心が動いた。

すぐに疲れて、休んだ。

休んで、また動いた。

少しでも動けることがありがたかった。


心のダメージが、体に与えるダメージの大きさを改めて感じた。


あれから一週間と少し。

だいぶ日常が戻ってきた。

そして心が戻ってきた。

またいろいろ感じながらやっている。

でも、まだ受けたダメージがあちこちに残っていて、

疲れやすく、不安が出やすくなっているけれど、

今自分が生きている、

   「今ここ」を大事に生きるようにしている。



あの時、

翼はもげたと思った。

でも、羽根って無くなっても一週間位で

また生えてくるみたいだ。

とかげのシッポみたいに。


生えたてで、小さくてフワフワしているからだろうか。

小さなことに感動している自分がいる。

誰かの優しい言葉がとても心に沁みたり、

いつもやってることなのに、出来ることが嬉しかったり、

外の風や光に心が慰められる。


怖かったけど、

無駄なことは何もないのかもしれないな、

と思う。

覆いかぶさる試練や苦しみは本当に辛いけど、

不要なものなんて本当に一個もないのかも知れないな

と思う。


でも、怖いからやめてほしいけど....。








海の底へ

翼の話を書き終わって、すぐだった。


こういうのを、

運命のいたずらと言うんだろうか。

私は、何か大きな者の手によって

無造作に翼を引きちぎられた。(ような気がした。)


.....


羽根を失って私は、

真っ逆さまに落ちていった。

暗い、深い、海の底に.....


荒波の中で、私は自分を見失った。

自分に何が起きているのか分からなかった。

どっちが上でどっちが下かも分からなかった。

もがけばもがくほど体は沈んでいき

気が付くと、私は海の底に横たわっていた。


真っ暗で、何も見えない。

耳がボーンと詰まって、何も聞こえない。

心は何も感じない。


そこは「死」の世界だった。


私は、混乱する頭で

何が自分に起きているのかを考えようとした。

なんでこんな事が?

何が原因?どうしたらいい?と、必死に。

でも、何一つつかめなかった。


そのまま二日間、布団の中で過ごした。

お腹も減らず、ただ部屋の天井を見て過ごした。


私は、この光景を知っていた。


一番最初にうつになった時だ。

あの時と同じだった。

頭の中は砂嵐。思考も感情も停止した。

食事が取れなくなり、スープみたいなものだけ無理やり食べていた。

そして眠ってばかりいた。

自分がこれからどうなるのか、

子ども達はこれからどうなってしまうのか

不安で怖かった。


そんな自分を思い出していた。

あの時の感覚をありありと思い出していた。

私またうつ病になっちゃったのかな....(涙)


今、子ども達は大きくなったから、もうそこまで

影響はないと思うけど、娘に心配をかけたくなかった。

娘は大事な国家試験を控えている。

息子は、部屋からオンラインで友達と喋って笑っている声が聞こえてくる。

元気でよかった...。


二日目になって、少し冷静になってきた。

これから自分がどうなるのか分からないのが一番怖かった。

いろんな予定も控えている。

全部キャンセルしなければならないのか、どうか。

また通院して服薬するのか、どうか。

考えても答えの出ないことばかりが、頭の中に浮かんでは消えた。

そんなグルグルの思考の中で、

私は、今の「自分の事実」は何だろう、とふと思った。


自分の事実

   自分の事実

       今の私の事実は....

「何も感じない。」だった。

心に何もない。空っぽ。

純な心? 

何だそれ?

少し前は、いろんな事を感じて動いていた自分がいたはずだが、

今は、どうやって感じていたのか、どうやって動いていたのか全く分からない。


理由なんか知らない。

でも、

ただ、今はそういう自分だ、ということだった。

どんなに探しても、

ここにはそういう自分以外いない。

それが、「今の私の事実」だった。


事実が分かると、私は少し上と下が分かった気がした。

自分の立っている場所がぼんやりと見えた。


つづく。





この空を飛べたなら....完結編

終わったと思ったでしょう~。

私もそう思ってました。

でも......


「もうちょっと書こう!」と、

       今日思ったので、書きます。



.......


黒ずんだ、ほこりまみれの翼を広げて、

         やっぱり私は飛ぼうと思う。


やつれて、ひどい羽根だけど、

        一生懸命飛ぼうと思う。


真っ直ぐ飛べなくて、ひょろひょろして危なっかしい。

低空飛行だったり、急上昇だったりめちゃくちゃだ。

正しくもない。

常識はずれだと非難されるかもしれない。

自分でも迷ってばかりで、行ったり来たり。

かっこ悪いし、

恥ずかしいし、

みっともないけれど、

それでも一生懸命飛ぼうと思う。


何度墜落しても、

   ホコリを払って、また飛ぼう。


傷ついて、血が出たら、

   泉のほとりで羽根を洗おう。


飛ぶことに疲れたら、

   森の中で、ゆっくり眠ろう。


だって....

      私には翼があるんだもの。


森田先生が、その命を掛けて飛び方を教えてくれたんだもの。


そして、 

  私はこの世界に生まれてきたんだもの。


だから、私は飛ぼうと思う。


だるまさんのように

    なんど転んでも、なんどでも起き上がろう。


飛ぶのが怖い時は、一歩一歩歩こう。

歩く中で私はたくさん大事なものを見つけた。

一緒に歩く仲間も、

本当はいつも一緒に歩いてくれていた家族も、

孤独だった私をいつも慰めてくれた自然も、

       歩いたからこそ見えた。


だから、

 恐れず飛ぼう。

      そう思った。




                    おしまい....(^^)





この空を飛べたなら...②

生まれた時は、

羽根は真っ白で、ふわふわしてて、

真珠のパウダーでもふりかけたかのように

キラキラしているんだろうな。


でも、大人でそんな羽根の人は誰もいない。

私と同じように、誰の羽根もみんな

うす汚れて、抜けて、くたびれて、

千切れてしまったり、折れ曲がったり.....。


ゆうゆうと飛んでいるように見えた人達は、

目を凝らしてよ~く見てみると、鳥だったり、雲だった。


私達にはみんな羽根があるけれど、

みんな飛べなくて、地べたを歩いていた。

私も歩いた。

前はそれが嫌で、悲しくて、何で自分だけ、とか

辛くて仕方がなかったけど、

今は、飛べないまま、折れ曲がったまま、

痛みをこらえながら、羽根を引きずって歩き続ける自分も

前ほど嫌いじゃなくなった。


あ~あ、曲がっちゃってんな~、半分千切れたな~、と思いながら

トボトボ、テクテク 歩く。

立ち止まって、空を見上げて、ため息ついて、また歩く。

もう疲れた~って、泣いて、休んで、また歩く。


そうやって、目の前の生活に必死に喰らいついていると、

あ!今って私けっこう飛んでたんじゃない!?って気づく時もあって。

でも、すぐにいろんなものがのしかかってくるし、

雨に打たれて、翼はぐっしょり重たくなるし、

結局、翼を引きずって歩いている時間のほうが、

ずっとずっ~と長い。

もうずっ~と地べたを歩いていけばいいじゃん、と思えたら楽なのに、

私はどうしても飛ぶことをあきらめられない。


でも段々、案外飛べずに歩いている時間のほうが大事なのかな、と思うようになった。

だから、飛べない時はなるべく空は見ない。


前は、空ば~っかり見てて、

アホみたいに首が痛くなるほど上ば~っかり見てて、

足元の石ころにつまづいて転んだりした。


今は、意識的に地べたを見るようにしている。

そこでちゃんと生きてみるというか、

周りを見たり、足元を見たり、同じように歩いている人を見たり。

そういうものって、飛んでる時には絶対に見えないものたちだ。

それらが私には愛しくてならない時がある。

それらをちゃんと見るために、私は歩かされているんだ、と思う時がある。

だから今は、

「飛ぶ事」がすべてじゃない。

「飛ぶ方法」だけが大事じゃない、と少しづつ思うようになった。


それでも、強欲な私は片時も空の事は忘れない。

忘れないけど、

飛べない時は地べただけ見て生きるようにしている。


時折、黒ずんだ羽根をバサバサッと広げてみる。

積もったホコリを取るために。

ホコリと一緒に、キラキラした粉が混じって降ることがある。

12年前に折れた翼は、いつの間にか直った。


今は、この汚い羽根がいとおしい。

貧相で傷だらけだけど、これが私の生きてきた証だから。

これからも、この翼と共に地べたで生きていく。


いつか、この大空を自由に飛べる日を夢に見ながら....。


     注)このお話はフィックション です。(くしゃみの方

 


追記、

  ここ2、3日は、中村あゆみの「翼の折れたエンジェル」をよ~く口ずさんでいました。

                  (知らない方は、ズバリ、若いでしょう~!)

     「Uh~~~~~翼の折れたエンジェ~~ル♪

        あいつも~Uh~~翼の折れたエンジェ~~ル

          みんな飛べないエ~ンジェ~~ル♪♪」 

                  

                    Oh~!!おんなじじゃん!?






この空を飛べたなら...

私の羽根は、うす汚れて、薄っぺらで、ボロボロだった。


そして、ウツという人生にぽっかり空いた穴に落ちた時に、

  私の羽根はポッキリ折れた。


もう二度と飛べないと思った。

そもそも、自由にこの空を飛んでいたことなんて

未だかつてあったのかすら思い出せなかった。


いつも、正しく、真っ直ぐ、より高く飛ぶことを目指してきたから、

そういう飛び方ばかりを課してきたから、

羽根は使い物にならないほどボロボロだった。


羽根が折れて、初めて気が付いた。

私には羽根があったんだって。


ボロ雑巾のような羽根を見て、

    自分が自分に何をしてきたのかがやっと分かった。

でも、どうやってそれをやめたらいいのか分からなかった。

ただ、羽根に「ごめんね」と言った。

今まで、痛めつけて、痛めつけて、痛めつけて、すごく痛かったねと、

ボロボロの羽根を抱いて、私は泣いた。


折れて薄汚れた羽根を見て、

     羽根を直したいと、心から思った。

具体的にどうしたらいいかは分からなかった。

ただ、

私は私の羽根を大事にしなくちゃ

  ちゃんと大事にしなくちゃ、という事だけは分かった。


羽根が折れたまま、私は歩いた。

みんながゆうゆうと空を飛んでいくのを見上げて

なんで自分だけこんなところを歩いているんだろうと思った。


ボロボロの羽根を抱いたまま、私は歩いた。

でも、いつでもすぐにくたびれてしまって、

すぐにへたり込んでしまって、

その場にひっくり返って、小さな丸い空を見ていた。


「私、なんのために生まれてきたんだろう。

       私、どうして生きているんだろう。」

                   と思いながら。



つづく...

注)どこに着地できるのか分からないまま書いています。怖っ!





初春

明けましておめでとうございます。(って遅~い!!)


でもさ~、

「おめでとう!」「おめでとう!」って、

   お正月って何がそんなにめでたいのでしょうかね~? (`・3・´)

何の努力もしなくても、勝手に年は明けるわけでしょう~?

いつもと同じように日が暮れて、次の日明けたら

たまたま年をまたいでいました、というだけなのにぃ~。(`ω´ )


ことさらに、年末だ!正月だ!と騒ぐ必要もないと思うんですがね~。

できるならば、何事もないかのようにいつも通りに生活したいな~と

思うんですが~.....

そこは、悲しき「ザ.凡人」。

やっぱり年末になると、あれこれ買っちゃうし(店が煽ってくるんだもの~!)

ガラガラくじやってたら、やっぱり喜んで回しちゃうし、

     (いい玉引き当てて、鐘が鳴りましたヨ!ラッキー

親戚がくるから、やっぱり見栄張って見えるところだけお掃除しちゃうし、

佐藤の鏡餅も飾っちゃうし、


年が明ければ、

お日様みて神聖な気持ちになっちゃうし、

やっぱり初詣も行っちゃうし、

お雑煮食べちゃうし~。


あ~やっぱり、世間、社会、常識、レール、ルーティンに

流され流され流されまくって~~~~~、

今年もいつものように暮れて、明けたのでした。


ま、それらは社会一般でもあるけれど、

やっぱり私の中にも、

「一年をそれなりに締めくくり、それなりに新しい年を始めたい!」という

心があるからなんでしょうね~。

でも、あんまり世間がここぞ!とばかりに煽ってくるもんだから、

私の中で抵抗心(反対観念)が湧くのでしょうね~。

                    (めんどくさい性格!)


「そっとしといてほしいわ!

  それなりにちゃんと「けじめ」つけてやりますから!」みたいな?


あ~あ、今年も生意気ですね~。(ノ´▽`*)b☆


今年もどうぞよろしくお願いいたしま~す。

              六花



良いお年を。

前回案内しました、「きみはいい子」を今日読んでいました。

(合間にです!掃除や買い物のあ・い・ま!)

軽い気持ちで「リンクしてて面白いですよ~」なんて案内してよかったのかな、と

少し思いました。


前に読んだ時は、

虐待の描写が読んでいてしんどかった記憶があり、

一度読んだきり、読む気にならなかったのですが、

今回久しぶりに読んでみて、

いい意味で、いろんなものが心に刺さりました。


こちらは、5つの短編で構成されています。

そして5つはそれぞれうっすらとつながっています。

「わたしをみつけて」ともつながっています。


そして、読み終わって本を閉じた時、

「きみはいい子」ってそういう意味だったのか、と思いました。


私も、本に出てくる子のように、

「よその家の子になりたい」と思ったことがありました。

いとこの家に家出して、本気でその家の子どもになろうとしたこと

がありました。

なんか、子どもの頃のこといろいろ思い出して、

だから前読んだとき、辛かったんですね、きっと。


でも、中脇さんに

そんな私も「いい子だよ」と、言ってもらったような

気がしました。


世の中には、本当に悲しい事、信じられないことが

起こってしまいます。

私は「虐待」とまでは言えないけれど、

そんな連鎖の中にいました。

何かが一つでも違っていたら、繰り返していたのかもしれません。

連鎖の鎖に翻弄される、ギリギリの綱渡りのような子育てでした。


この物語は、

絶望の中にともる、小さな灯(ともしび)の物語。

大いなる救いじゃない。

小さくて、風が吹いたら消えそうな灯り。


決してハッピーエンドなんかじゃない。

やっぱりギリギリの中で、続いていく物語。

傷付きながら、泣きながら、

それでも歩いていく物語。

救うほうも、傷ついて絶望している。


それでも、誰かを思うとき、

誰かを真剣に思うとき、例え弱くても誰かの灯になれるのかもしれない。


人は弱いようで強い。

 強いようで、弱い。

(あ、セカオワの歌にありましたね。イルミネーション...)


最後の日に、重いですかね~。

でも、私は最後の日に読んでよかったと思いました。

人間はすばらしい!

生きるってすばらしい!

と心から思えました。


ブログを読んでくださるみなさま。

いつも読んでくださり、本当にありがとうございます。

新しい年が、みなさまにとって、幸せな年でありますように。


来年もどうぞよろしくお願いいたします。

                  六花

               (今年は年賀状はやめました~!勝手でごめんなさい!!)





「本」... part②

私が、今まで読んだ中脇初枝さんの本の中で

一番好きで、何度も読んだ本は、

「わたしをみつけて」です。


主人公は、生まれてすぐに病院の玄関に捨てられた孤児の「弥生さん」。

「弥生」という名前は、

    病院に捨てられていたのが3月だったから。

弥生さんは施設で育ち、生きていくために看護師になり、

日々淡々と病院で働きます。

目の前で起きる生も死も、ただの日常。

夢も持たず、何が幸せかとか、理不尽な目に合っても、深く考えないようにして、

ただ、淡々と平穏無事に過ぎることだけを願う日々。


ある日、弥生さんの病院に新しい看護師長が赴任してきます。

その看護師長との出会いで、弥生さんの中で何かが変わっていく物語です。


この作品は、何回読んでも泣いてしまいます。

ブログに書いていたら、久しぶりに読みたくなって

掃除も投げ出して、今日の午後ず~っと読んでいました。

(誰ですか~!現実逃避と言ってるのは~!(*`・з・´))


家の掃除もいいですが、涙をたくさん流して、

心のお掃除する年末もいいものですよ~。(*^_^*)

私にとっては、そんなきれいな涙がいっぱい流せる作品なんです。


そしてこの作品は、「きみはいい子」という作品と

所々でリンクさせてあります。

両方読むと、あちこちに仕掛けが見つかって面白いのです。


私は、中脇さんの人間を見つめる

     力強く温かい眼差しがとても好きです。


さて、明日は「きみはいい子」を読むかね~。\(^o^)/




プロフィール

六花

Author:六花
ブログへようこそ。
六花と申します。
10代の頃から神経質症に陥り
30代でうつになりました。
今は森田療法のおかげで、元気に暮らしております。
そんな体験からこのブログを始めました。
日本由来の森田療法を多くの方に知ってもらいたいと願っています。

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