高知へ

この夏、私は高知に行く。


今年は森田正馬先生の没後80年。

それで、先生の生誕地、高知県野市

墓前祭が行われるので、それに参加するのだ。


私は約1年前にその事を知った時から、

「絶対に行きたい~!」と思って楽しみにしてきた。

墓前祭...。

お坊さんが何人も来て、お経でも読むのかな?

地元のホールを貸し切ってやるらしいが、

一体どのくらいの人が来るのだろう?

私のように全国からもたくさん来るのかな?

発見会など、知っている顔にも何人かは会えそうだ。


その日、森田先生を慕って集まる、森田ファミリー

これは森田ファミリーで大々的に行う、でっかい法事だ!


飛行機も取った。

ホテルも取った。


初めての四国。

もちろん初めての高知。

先生を育んだ土佐にはどんな風が吹いているだろう。

先生のお墓参りも是非したい。

今も残る、先生の生家も見に行きたい。


ところが....


そう言っていたら、

一緒に行くはずだった友人が、

急遽いけなくなってしまった。(*゚Q゚*)


元々一人で行く予定だったから、別に一人でも良かったのだが、

その前に、私は息子を誘ってみた。

息子は学校をやめ、毎日ヒマだ。

何の予定もない。

ダメモトで誘った。


以前の息子なら、絶対に行くなんて言わないだろう。

でも、「友達がいけなくなって空席が出来ちゃって困ってる~。」と事情を話したら、

渋々だが、「別にいいけど~。」と小さな声で承諾した。


!!!(゚д゚)

     (マジ?)

ヽ(≧∀≦)ノ

     (ヤッタ~~!)

この夏、私は息子と二人で高知に行く!!

一年前、まさか息子と行く事になるなんて考えられなかった。

一番ありえなかった。


でも息子は「森田先生なんて知らないから、墓前祭は行かない。」

そりゃそうだ。

息子には森田のこともほぼ話したこともない。

いいのいいの。

一日目は別行動で、どこかで遊んどってくれりゃいいの。

(なんか見知らぬ土地で、いきなり別行動ねって放り出すのもちょっとヒドイとは思うが、

 何かそういうのも色んな意味で良かったりするんじゃない?

                     カワイイ子にはなんとやらで....)

で、二日目はレンタカーでも借りて一緒に遊びまわろうと思う。


楽しい思い出、たくさん作ろう!

いやいや欲張っちゃいかんな。

1個でも2個でもいいから、二人でいい思い出作ってこよう。


墓前祭。

その日は、必ず先生の魂も高知に帰って来る。

先生がこんな面白いことを見逃すはずはない。


土佐の南国の風の中に、

  先生の魂がきっと吹き渡っているはずだ。






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横並び

「森田の学習は、みんな横一列であること。」

     そう言った方があった。


横一列....

 年齢、経験、会員非会員、学習年数、役職など何一つ関係なく、

   みんな横一列に並んで森田を学ぼう。


いい言葉だな~、

 本当にその通りだな~と思う。


私達は、人生に行き詰まり、心の悩みの中で出会った仲間達。

一番しんどかったところを知っている仲間達。


最初に発見会に来た時の悩みはうすれても、

ステージごとに悩みは次々に形を変えてやってくる。

生きている限り、

苦しい事はゼロにはならない。

生きてる限り、

学ぶことに終わりもない。


私達は、誰かが誰かに何かを教えるなんて

一方的で、単純な関係じゃない。

ひとりひとりがみんな違う中で、

お互いの経験を分かち合い、

人生ってなんだろう、

生きるってなんだろう、

と一緒に考えるかけがえのない仲間だ。


そこに上も下もない。


いくつになっても、

どんなに長く学んできた人も、

初めて来た人も、

会員だろうとなかろうと、

男だろうと、女だろうと、

関係ない。


森田の中では、み~んな横一列。

どこまでも。






防災訓練 犬の茶碗編

防災訓練の続きです。

先日、

100均で買った犬の水用ボールにサビが出てきていたので、

「買い替えよう!」と思った。

また100均でも良かったのだが、

やっぱり今度は錆びないステンレスがいいなと思い

ホームセンターに買いに行った。


ペットコーナーで見ていると、ステンレスの水入れはとっても高い!

犬用なのに~。

犬用だからか? 今はお犬様様の時代だ。

それで、こんな高いの買えるか~、と思いキッチンコーナーへ行った。

しかしキッチン用は座りが悪かったり、大きすぎたり。

さして安くもないし。


私は防災モードに入った....。ピピピピ...

犬用の水飲み用だからもっと安くていいし、

でも錆びないのがいい。

何か他にいいものないかな?

錆びなくて、丈夫で、安いもの、あるいはタダ!

そう、別に買わなくていいのだ。

ステンレスという条件を外せばいいのだ。

犬が飲みやすく丈夫な材質ならなんでもいい。


そして、家には様々なタッパーが使いきれないくらいあることに思い至り、

タッパーで代用できるかも、と買わずに帰った。

(まあ予定外の物をいろいろ買ったけど...)


家の棚を探すと、

オレンジ色の、丸く安定感のあるちょうどいい大きさのがあって、

今はそれで水をやっている。

色といい、なかなか気に入っている。


お金も遣わずに済んで良かったし、

ずっと棚に眠りっぱなしのタッパーが生かせた事も大変よかった!


日頃主婦は、家の中を細々と動いているので、

ビニール袋だったり、輪ゴムだったり、サランラップだったり、

食品トレーだったり、工夫の余地はいくらでもある。


またヒットな工夫が生まれたら

ここに書いてみたい。




防災訓練 レシート編

ウチは大した災害対策はしていない。

本当に最低限しかしてない。

神経質が足らないのかもしれないが、

神経質を発揮して、アレコレ備え出したらそれこそ大変だ。

いろいろ想定して備えたくなってしまうし、

これで充分なんて事はなく、こだわり出したらキリがなくなる。


それで何となく手を付けるのがイヤで、

何年も前に作った防災袋が、部屋の隅にホコリをかぶって

ずっと放置してある状態だ。


でも私がいつの頃からか

「これは防災訓練だ!」と思ってやりだした事がある。

それは、

物を備蓄するのではなく、

もし物が不足しても、暮らしていける自分になる訓練。


これをやりだして気づいたのは、

自分は「無くなったものは、買えばいい。」という思考回路が出来上がっちゃっていることだ。

店に行けば常に豊富に品物が有り、

お金さえ出せば、いつでもゲットできるのが当たり前な社会で

長年暮らした結果の回路だろう。


だから特に気にもせずに、使いたい放題使い、

すごいたくさんの物に囲まれ、消費しながら暮らしている。


もし災害などがあり物資が止まれば、

こんな生活は一気に行き詰る。

そんな時に、「どうにかして物資をゲットする」んじゃなくて

「なくても何とか暮らせる人」になりたいのだ。

そのための、日頃からの防災訓練。


例えば、

何かを切らしても、すぐ買うのではなく、

「何かで代用できないかな?」

「あるもので何とかならないかな?」

と考えたり、工夫したりしている。

そんなストイックにやっているわけでは決してなく、

頭の体操、発想の転換くらいのつもりで楽しんでやっている。


例えば最近のヒットは、

レシートの裏側をメモ紙として使うことだ。

いつもまとめてゴミ箱に捨てていたのだが、

裏が使えるじゃん!という事に気が付いた。


それからはもう全くメモ帳を使わなくなった。

電話のところに置いてある、真っさらなメモ紙を使う時は

「もったいないな~。」と思うほどだ。

それまで、断っていたコンビニなどのレシートも、

今は積極的にもらってくるようになり、

表の内容よりも、レシートの長さが気になり、

メモには短いな、とか長いから切らなきゃ、と思うくらいである。


レシートって、日々結構溜まるので、

使い切れず溜まる一方だ。

「私はもう一生メモ紙には困らないわ!」

と家族に豪語しているが、私を見習おうと言う者は一人もいない。


「レシートの裏側が資源!」

今まで全く気付きもしなかったその事に、

気付けたことがとても嬉しく、

まさに「生活の発見!!」だった。


少々貧乏くさいのかもしれないが、

私はものすごい資源を有効活用しているような気がして、

誰に理解されなくても、ちっとも気にならないのである。


これはまさに森田先生の「物の性を尽くす」精神だし、

工夫して、便利に、大切に、無駄なく、

そのモノの命を使い切って暮らす。

それはとても楽しく心踊ることだ。


日頃から「防災訓練」。

オススメですよ~。\(^o^)/




薫風

今日みたいな日を五月晴れと呼ぶんですね。

暑すぎず、風は涼しく爽やかに吹き渡っていく。

木々の新緑が太陽にキラキラと輝いて...。


それなのに、天候とは裏腹に、私の心は重たい。

息子は、もう学校に行かない。

家にいるのはいいが、その調子は波があり、よく動く日もあり、

一日ご飯も食べずに寝ているような日もある。

そのたび私は一喜一憂している。

今日は、やっぱり一度病院にかかったほうがいいんじゃないかと思い、

あちこちに電話していた。


息子は起きているのか、寝ているのか

チラと覗くと、口を結んで目をつむっている。

私はその周りをバタバタと、洗濯物を干したり、

仕事の準備をしたり、掃除機をかけたりしている。

仕事に出かける時は、一応声を掛けて出かける。

今日は返事もなかった。

「きっと寝てるんだ。」そう思う事にする。


それでも一歩外に出れば、そんな気持ちのいい風に

少し心がほぐれる。

自転車を漕いでいる時も、息子のことを考えている。

お客さん家に着けば、頭は切り替わっていくけれど。


仕事の帰り、神社に寄った。

お守りを返納したかったのだ。

子供の受験の時に買ったのを、ず~っと返そうと思って

カバンに入れっぱなしになっていたものを

やっと今日返す気になって、立ち寄ったのだ。

(こういう所はほんとに神経質じゃないな~と思う。)


鳥居をくぐると、神社の中は薫風が吹き渡っていた。

ザ~っと木々が鳴る。

この神社は、20数年前私たちが結婚式を挙げた神社。

小さな神社だけど、そこそこ由緒もあるらしい。

古いお守りを返し、本殿にお参りをする。

やっぱり息子のことを祈っていた。

「神様、息子を守ってください。」


お参りし終わって、

息子のお守りを買おう!と思い立った。

(やっとお守りを返したのに、また新しいのを買ってしまったのだ。笑

                でも、目的が違うからいいよね。)


呼び鈴を押すと、出てきたのは

私達の結婚式を挙げてくれたあの神主さんだった。

(向こうは覚えていないと思うけど。)

「これでよろしいですか~?」と、

優しく対応してくださるお顔を見て、あの時よりもちろん年は取られたが、

私はなんだか涙が出そうになった。

そして、日々神にお仕えしている優しい眼差しのこの人に

「ね~ね~私の息子が学校辞めてしまって、

  しかもウツみたいになって、すごく心配なんですよ~。」と打ち明けたくなった。

でも、言わなかった。

きっと、もっともっと追い詰められていたら私は喋っただろうと思う。


その代わりに、

この人から手渡されたお守りを、有難く受け取り

2言3言、言葉を交わした。

お守りは、仕事用のカバンに付けた。

小さな鈴がちりんちりんと鳴るブルーのお守り。


今日お参りしてみて思ったのは、

何でもない日でも、神社って結構人が来るんだなということ。

私が入る時、60代くらいのご夫婦が来ていて、

二人で深々と鳥居のところで頭を下げていた。

私がお参りする前後も、何人かの人とすれ違い、

帰る時も、入れ替わりで若いお母さんにすれ違った。

...

みんな何を祈りにここに来るのだろうか?

手を合わせて、深く頭を垂れて、何を思うのだろう?


苦しいのは私だけじゃない。

みんなもいろいろあるんだ。

自分の力ではどうにもならない事、たくさんあるものね。

助けてほしいって思う時くらい、誰だってあるよね。

苦しいけどお互いがんばろうね。

何だか勝手にそんな心境になった。


私は最近は仏教の本を読んでいる。

でも今日は思いっきり神にすがっていた。

私の中では自然なことだ。


矛盾だらけだ。それでいい。

むちゃくちゃだけど、

それでいい。





エゴ....②

仏教のお偉い様の書いたことだから、

私は、昨日も今日も

「エゴを捨てるってどういうことだろう?」と

考えていた。

エゴを捨てたら、もっと穏やかに

柔軟に生きられるのだろうか?

瞑想でもしたら、

エゴが捨てられるんだろうか?


2日考えていたら、

私は混乱してしまった。

思考の森で迷いそうになった。

いかん。もうやめよう。

そして一回全部忘れることにした。


私は自我(エゴ)が強すぎる。

でも....

エゴを捨てたら、私は私でなくなる。


私は、いくらその事で自分自身が苦しもうとも、

私はもう自我を捨てる事は出来ない。


わがままなエゴを抑えて、コントロールして、

柔らかに平和に生きていきましょう、とは全く思っていない。


むしろ逆だ。

この感性や神経質気質を存分に発揮して、

最大限に働かせて生きていこうと思っている。


今私にわかるのは、それだけだった。




エゴ

私が、うちの旦那のすごいな~と思うところは、

自分の事を、とても「等身大」に見ている事だ。


何年か前に、旦那の会社で

何やらの心理テスト的なものがあって、

その結果、

「自分に対する自分の評価」「他人から見る評価」

ほとんど一致していたのだそうだ。

そしてコメント欄に、

「自分の事を大変客観的に見れていて、全く自分の事実と乖離していないから大変よい。」

というような高評価な事が書いてあったので、

本人はとても喜んでいた。


本当に私とは大違いな部分である。

神経症の中にいた時はもちろん、

今でも、自意識過剰で

だいぶ他人の評価なんかとは乖離しているんじゃないか、と思ったりする。


神経症当時の自分がそのテストを受けたら、

きっと「自分の評価」と「他人の評価」とは大きく乖離し、

「もっと自分の出来ていることを評価しましょう。」だの

「自意識が過剰です。他人はそれほどあなたに興味を持っていませんよ。」

的なことを書かれたりするのだろう。


今は、神経症は良くなったけど、

過剰な自意識はあまり変わらず、

物事がちょっと上手く行くと、

すぐに有頂天になって「私って天才じゃない?!」と思い上がる傾向があるので、

(恥を忍んで書いているんですよ~~~~~。(//>ω<))

きっとコメント欄には、

「自分を尊大に見る傾向があるので、横柄な態度にならないように気をつけましょう。」とか、

「もう少し冷静に自分自身を見つめてみましょう。」

的な事を書かれそうだ。


上手く行かなかったら行かないで、

全部自分のせいのような気がするから困ったものだ。

そんなに自分に力があるわけでもないのに、

なぜか最初はそんな気になってしまうのだ。

どっちにしても恥ずかしいくらい自意識が過剰なのだ。


何かにつけて極端で、自分の事ながらあきれる。

多分こんな自分とは一生付き合っていくのだろうな~、と思う。


旦那なら、

例え上手くいっても

「たまたま上手くいった。ついてたな。」とか、

上手くいかなくても、

「まあ所詮俺のやることだから仕方がない。」

くらいに思うのだろう。


今、仏教のとても偉い人が書いた本を読んでいるのだが、

まさに私のような人は精神的に病みやすいから、旦那のようになって行きましょう

と書いてある。

こういう人に言わせたら、

私のような人は、自我(エゴ)の塊で、エゴが強すぎるのだろう。


そして、「エゴの強いのは何かにつけていい事は一つもない!」と書いてある。

簡単に言うと、

「自我(エゴ)を捨てましょう。」

「自我を失くしていきましょう。」という事が書いてある。


言いたい事は分かるが、そう書いてあると、

 「そう言われましても~」(´・_・`)と私の心は苦しくなってくる。


続く....。



さざれ石

私は今、三重県の松阪の田舎に来ていま~す。


今日ふらっと立ち寄った神社に、「さざれ石」が祀ってありました。

「さざれ石」って知っていますか?

ちなみに旦那に聞いてみたら、

「聞いたことない!」と言い切っていました。(゚д゚)

いやいやいや、聞いたことないわけない。


さざれ石は、国歌「君が代」の中に歌われています。


 ~ 君が代は 千代に八千代に 

       さざれ石の 巌となりて 苔のむすまで ~


横の石碑に、「さざれ石」の説明が書いてあり、

このさざれ石は、「岐阜県揖斐郡春日から持ってきたものだ」と書いてありました。


私は最近、そこへ行ってさざれ石を見たばかりだったので、

「お~~!!!なんか最近さざれ石づいてる~!」と思い、

さざれ石について調べてみました。


何十回、何百回と歌った国歌のこの「さざれ石」を、

私はこの年にして初めて見ました。


そして、見れば見るほど、

確かに石碑にあるように不思議な石だな~と思いました。

普通、岩って長い年月を経る間に

風雨にさらされ、角が取れ、丸く小さくなっていくものですよね、普通は。


でもさざれ石は、年月を経るほどに、周りの石や礫をくっつけて

どんどん成長していくというのです。


ここからはウィキペディア情報ですが、

主には石灰岩で出来ており、それが雨で溶解することによって、

粘着性のある乳状液が生じ、それがまるでコンクリートのように、

周りの小石をくっつけるのだそうです。


そして、歌にあるように、

「千代に八千代に年月を経るうち、巌のように大きくなる」のだそうです。


実物を見ると、

確かに小さな石っころから大きな石まで、

表面にがっちりとくっついて、全体としてはものすごくゴツゴツした岩なのです。


つまり君が代に歌われているのは、

そういうちょっと不思議な変わった石が、周囲の小さな石たちを

くっつけながら成長し、やがて巨大な巌となり、

その巌に苔が生えるまでの、

気の遠くなるような、長~~~~~~~い年月を歌っているのです。


そして岐阜県揖斐郡春日は、国内でも有数のさざれ石の産地だそうで、

先日そこへ行ったのは、発見会の仲間とハイキングに行ったのですが、

その帰りに「さざれ石公園」にも行く予定でしたが、案外遠かったのでやめました。


でも、帰りに寄った温泉のみやげ物売り場で、

さざれ石を売っているのを見かけたのです。

30センチくらいの塊が、7~8000円してました。

その時は、「君が代」に歌われてる石だという事くらいしか知らなかったし、

いくら国歌に歌われているからって、こんなゴツゴツした見てくれの悪い石が、

何でこんなにするんだろうか?と思ったのでした。


あの日、さざれ石を見ていなかったら、

今日神社に祀られているのを見ても、

それと気付かず通り過ぎていたんじゃないかな、と思います。


そして、それが揖斐の春日からやってきた石だと知って、

さざれ石が、不思議なを繋げてくれたような気がしたのでした~。





 

世間の目...②

何だか体調が変!?

気候についていけない?

初めて「OSー1」(経口保水液)を飲んでみた。

うっす~いポカリのような味だ。

これは元気な人が飲むと、むちゃくちゃ不味く感じるらしいが、

その日私は、「悪くないじゃん!」と思った。

やっぱり体調がよくないのだろう...。


前回、「世間の目」について、書こうと思ったのは、

ある本を読んでいて、

ホント世間の目なんてこんなもんだな~と、思ったからだ。


その人は今、40歳くらいの、あるNPOの代表をしている人だが、

入った高校が進学校だったが、

先生達は、いい大学に行く事ばかりを推奨するような雰囲気だった。

その人にとってはそれがとてもつまらなく、

学校をよくサボり、成績も悪く、先生たちには無視されていた。


その後、ますますその校風に嫌気が差し、

アメリカの高校に行くことを決意し、

英語を猛勉強したら、英語が学年でトップになった。

そしたら、教師に「君は学校のエースだ!特進コースでがんばれ!期待している。」

とチヤホヤされ、本当に嫌になって学校を辞めた。


そしたら、近所や親戚の人たちから、

「とうとうあの子は道を踏み外してしまった。」と言われた。

でもアメリカの高校を卒業し帰国したら、

「アメリカの高校を出て、すごいわね!」という事になった。


そしてあるテレビ局に入った。

ドキュメンタリーなどをよく作る国民的評価の高い局だ。

そしたら、近所親戚の評価は最高となり、

「高校のときから只者ではないと思っていたのよ!」となった。


そしてある社会問題を取り上げた番組を作ったことから、

その切実な現実に直面し、NPOを立ち上げ活動するために

テレビ局を辞めたのだが、

そしたら、

「やっぱりあの子は昔から変だったのよ。」と言われた....。


本当に世間の目って、そんなもんだな、と思う。


その時々で、表に出たほんの薄っぺらな一面だけを見て、

何かを判断し、

無責任にも何か言ってくる。

「人の不幸は蜜の味」の感覚で、騒ぎ立てる人も多いだろう。


それは、事実でもなんでもない。

そんな世間の風評に振り回されたくはない。

でも、そういう事を言われれば、

ほっそい神経の私達は、心無い言葉に心が傷つき、ズキズキ痛む。


だからこそ、

せめて自分だけは、

自分の「事実」をちゃんと見つめていたいと思う。


風当たりが強く冷たい時も、

自分の事実と、自分の気持ちだけはしっかり胸に抱いて、

一歩一歩、歩いていきたいと思う。





世間の目

対人がひどかった時は、

世間というものがとても怖かった。

世間の目 とか

世間一般 って一体何なんだろう。


今はこう思う。

私が恐れていた世間の目って、さもありそうだけど、

本当は実体なんかない


例えば、子どもはよく、

みんな持ってるから。」

みんながそう言ってる。」などと言う。


でも、本当に「持っていたり」「言っている」のは

その子の周囲の2~3人なんだと思う。

例えば3人で話していて、自分以外の2人は持っていて、

その2人が「皆も持ってるよ」と言えば、

さも、「自分以外の人はみんな持っているのだ!」と思うだろう。


でも、きちんと事実を見たり、もっと他の子たちにも聞いてみれば

きっと「持ってない子もいっぱいいるじゃん。」とか

「違うものを持ってる子もいるじゃん。」とかに気が付くだろう。


世間の目も、そうなんじゃないかな。


10人いたとして、

実際2~3人は変な目で見てくるかもしれない。

だけど、温かく大らかな目で見てくれる人も

例え1~2人でも、いると思う。

そして、残りの5~6人は、私の事には関心もないだろう。


自分がそこに引け目や負い目があるほど

変な目で見てくる人ばかりがクローズアップされ、

その目がまるで大多数のように感じてしまっていたのかもしれない。

そうして自分の中に、

実体の無い「冷たい世間」を作り出していたのかもしれない。


そして、ビクビクしている自分がいけないんだと思ったり、

情けなく思ってしまったりする。

でも、どんな風な態度でいても、

批判的な目で見るような人は必ずいる。


そうやって、世界をとらえる目が大きく歪んで、

私には世間と言うものが、

ものすごく厳しく冷たいように感じていた。


そして、

実際はあったのに、

温かい目や、温かい言葉に気付けなかった。


私が恐れていた世間は、

自分が閉めた扉の細い隙間から見え隠れする、小さな世界だった。


本当の世界は、....


例えば、学校へ行かないうちの息子のことも、

温かく励まし、心配し、見守ってくれる....

そんな人がたくさんいる、大きくてあたたかい世界だったのだ。


もちろん息子の事を聞けば、

批判してくる人もいるだろう。

私が甘やかしているだけだ、という人も必ずいるだろう。


でも、私は今、

それも含め世間が怖くない。


どちらの意見もある中で、

世間を無視するのでもなく、

世間に振り回されるのでもなく、

息子の事実と向き合い、

決めていけばいい、と思っているからだと思う。






プロフィール

六花

Author:六花
ブログへようこそ。
六花と申します。
10代の頃から神経質症に陥り
30代でうつになりました。
今は森田療法のおかげで、元気に暮らしております。
そんな体験からこのブログを始めました。
日本由来の森田療法を多くの方に知ってもらいたいと願っています。

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